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韓国労組の果敢なる闘い 日韓民主労働者連帯・課題別交流全北訪韓団

私たち訪韓団は、5月28日から6月1日の予定で団長の阪口氏(近圧労)以下5名で関西空港から一路ソウルへ発った。一旦滑走路まで出た搭乗機が、安全点検をやり直すことになり予定より1時間遅れで出発することとなった。 

韓国仁川空港にも到着が遅れ、全州市に着いたのが午後10時だったので初日は、全北本部事務処長イ・チャンソク氏の自宅で懇親会を行い宿泊となった。
 

      労働者への弾圧糾弾
5月29日は、5年間争議を闘っているアデカコリア社第2工場前での通勤宣伝戦に参加した。

団長の阪口氏が、日本の親会社企業から出向している社員に向けた説得と、親会社の韓国労働者要求無視と差別・弾圧を厳しく糾弾する挨拶をした。宣伝戦を終えた後、アデカ組合員と朝食を共にして記念品を交換した。

次に全州市バス労働者が闘う新成バス闘争現場を訪問し、運輸連盟全北支部長と新成バス支会長と懇談、抗議の自殺を行ったバス労働者チン・ギスン氏の経過と資本と権力による民主労総潰しに対峙するため、社会団体などと共同して闘っている現状報告を受け、意見交換をした。
 
 

住民を退去させ基地に

住民を強制移住させ建設された米軍基地

5月30日は、郡山米軍基地探訪と郡山市に残る日帝時代の遺跡を見学した。

郡山米空軍基地は西海岸沿いにあり、肥沃な干潟地を埋め立てて滑走路を拡張している。ここでは米軍基地近隣に住む住民を追い出すために、安全上弾薬庫から半径2㎞以内に住むことができないという韓米協定を悪用して、わざわざ村に近い所に弾薬庫を移設。

それを口実に約5千名が住む村を強制移住させ、点在する村を分断して廃村に追い込もうとしている。現在は百数十名が残っているだけになった。

近くの高台から基地内部を見学。常時戦闘機が3機待機し共和国と中国に対する迎撃態勢にあるという。

続いて郡山港に向かい、日帝時代に作られた建物を見学。当時全北地方からコメを日本に運ぶために干満の差が激しい川の河口を利用し四つの桟橋を作ったと言う、その内の三つが今も残されている。

内陸部からコメを運ぶための線路がそのまま郡山港に残されており、戦前朝鮮のために鉄道を引いたことは嘘で、本当はコメを日本に運ぶためだった。郡山港には、当時のコメ倉庫と税関の建物、日本人が住んでいた日本建築様式(瓦ぶき二階建て)の建物があり「日本人通り」と今も呼んでいるそうだ。

31日にソウルへ戻り鈴木氏の案内で、「戦争と女性の人権博物館」を訪問した。日本軍「慰安婦」被害者が経験した歴史を記憶として残して日本軍「慰安婦」問題を解決するために活動する施設だ。6月1日に、仁川空港から日本へ帰国した。

くさり NO,783より 

連帯ユニオン議員ネット