連帯ユニオン 近畿地方本部 関西地区生コン支部 近畿地区トラック支部 近畿セメント支部 労働相談-ホットライン
 文字の大きさ
  現在:
    文字小←  →文字大
  文字サイズ
   

沖縄意見広告全国キャラバンスタート

「普天間即時閉鎖、辺野古やめろ、海兵隊いらない」第7期意見広告運動全国キャラバンがスタートした。今回は強行的に新基地建設を進める辺野古キャンプシュワブを中心に、沖縄の米軍基地がある各地を訪問し、各地でアピールを行った。
 
安倍政権の進めるアメリカに追随した戦争政策は現地を見ればすぐわかる。沖縄県警だけでなく警視庁機動隊まで導入して米軍基地建設工事を警備する万全体制だ。連日繰り広げられている抗議の声は現地のみならず、全国各地から支援の行動に参加している。

そのなかで今回、全国キャラバンは関西より関生支部と全港湾大阪支部の仲間を中心に7名のメンバーで沖縄入りした。関生宣伝カーと生コン車も全港湾沖縄地本の協力をいただき訪沖、そして辺野古へ。

 

一躍人気者の飛び入りミキサー車
初日、ミキサー車のドラムにはジュゴンが泳ぎ、ミキサー車横には「辺野古新基地建設反対」と「警視庁はヤマトに帰れ」の横断幕を張り付けた。

現地では、新基地建設に加担する生コン業者のミキサー車が悪のイメージを出してる。
かわいいジュゴンが貼られている


ミキサー車でゲート前に行くことを知らせていないので、反対運動に参加の市民をはじめ警察・機動隊がどのような対応をするのかわからないまま、キャンプシュアブゲート前に進入した。
突如ゲート前に現れたミキサー車は沖縄の海を守るため、そして、新基地建設を阻止するためであることが分かり、意見広告キャラバン隊のミキサー車は闘争メンバーたちの一躍人気者になった。 さらに、現地でミキサー車を走らせることでさらなる支援の輪が広がった。

翌日、高江ヘリパット基地建設反対テントに行き激励を行った。 この高江も現地住民の意見など無視し一方的にヘリパット基地建設を強行している。現地に着くや否や、闘争現場にいるメンバーにも情報が入っていて、キャラバン隊を温かく迎えてくれ、共に闘っていく確認をした。


稲嶺名護市長を表敬訪問する

その後、ヘリ基地反対協の安次富さんの紹介で稲嶺名護市長に面会するため名護市役所に。市長は「民意を無視する安倍政権のやり方を批判し、辺野古新基地建設を阻止するために市行政の先頭になって闘っている」と話された。

そして、翌日には読谷村文化センターで、沖縄意見広告の世話人でもある山内徳信さんとの面談した。

徳信さんからは「非常識を常識にする」闘いの話を聞いた。
当時「読谷飛行場を取り戻すことは非常識」だと言われていたが、「県民のためには必要である」と判断した徳信さんは、米軍敷地内にある野球場を村民に開放し、「何かあったときは村長が責任を取る」と言い、市民が毎日球場を利用することで米軍を追い出せた。住民と行政が一体となり、色々な戦術を考え、闘いを継続することで知恵が付き、米軍から生活権を取り返ことができた。まさに「非常識を常識にさせる取り組み」であると語ってくれた。

屋良朝苗
  ※屋良朝苗氏は1968年(昭和43年)琉球政府主席公選に立候補し、当時の野党や教職員会、労組など民主団体から圧倒的な支持を受けて当選。革新主席として米軍統治下、不屈の精神で悲願の祖国復帰を実現させた。行政主席を3年半務めた後、72年の本土復帰に伴う県知事選でも当選を果たし、復帰後初の知事に就任した人物

現在、屋良朝苗(※)像を読谷村役場内に建築し、歴史を継承していくための大きな取り組みを行っていた。


全国からアジアに拡げよう!

本来の全国キャラバンは、民意を無視され、国による押しつけに対して沖縄県民が声を上げていることを全国各地に伝えていくことが重要な目的である。そして基地のない平和な沖縄を目指したキャラバン隊の役割を再認識することができた。

今後、全国キャラバン隊は、3月に四国ルート、4月に九州ルート・中国ルートがその間予定し、西日本キャラバンも計画している。そして、この第7期の沖縄意見広告運動を拡げていくために、今年も6月中旬に国内紙に、さらに米国紙ウェブ版にも意見広告を掲載する予定である。

もう一つは、東アジアの平和連帯を目指して、韓国との反戦平和連帯を求めていく取り組みも今期強化していく。3月16日に「東北アジアの反戦平和連帯」の主催するシンポジウムにも参加し、沖縄意見広告運動をアジアにも拡げていく予定である。
 

連帯ユニオン議員ネット