連帯ユニオン 近畿地方本部 関西地区生コン支部 近畿地区トラック支部 近畿セメント支部 労働相談-ホットライン
 文字の大きさ
  現在:
    文字小←  →文字大
  文字サイズ
   

教育部では、月に一度開催する幹部教室を通じて、執行委員のレベルアップに力を入れています。今月のテーマは「靖国問題」です。

戦没者を祀る靖国神社の問題とは?

1869年、新政府軍と旧幕府側との戊辰(ぼしん)戦争で亡くなった軍人を祀るために創建された「東京招魂社」が、79年に「靖国神社」へと改称。明治維新からアジア・太平洋戦争までの戦没者240万人余を祀っている。「A級戦犯合祀」「政教分離」「首相参拝」などの諸点については今も多くの意見が対立している。

         

▼ 幕末の護国神社から靖国神社に改名する

まず、靖国神社の歴史は幕末にさかのぼります。1862年(文久2年)長州藩士世良利貞、津和野藩士福羽美静ら有志60余名は、神祇伯家の臣古川躬行を祭主として、京都の東山霊山にある霊明舎において、嘉永6年以来の「国事に斃(たお)れた志士」たちの御霊を弔う招魂祭を実施。明治に入り1868年(慶応4年)5月、薩摩長州側、京都の東山・霊山の中腹に招魂社(京都護国神社)を建立。薩摩長州側の兵士を祭ったのが護国神社の始まりです。

同年7月17日、江戸が東京へ改称。同年9月8日、明治に改元。1869年(明治2年)6月、明治天皇の発案で、軍務官(翌年、兵部省となる)が、九段下に招魂社を建設し、京都の招魂社を東京招魂社に合祀。管轄は軍務官、陸軍省、海軍省でした。1879年(明治12年)6月、東京招魂社が靖国神社に改名されました。

日清戦争において1895年(明治28年)4月には台湾を領有し、同年5月には「台湾民主国独立宣言」を行い、日清戦争(台湾戦争を含む)の戦没者1496名を靖国神社に合祀、また抗日武装闘争による日本人戦死者も合祀しました。
ヒトラー・ユーゲントも参拝 

1945年11月には靖国神社にて招魂式がおこなわれ、同年9月2日以前に亡くなった全戦没者を氏名不詳のまま一括合祀。同年12月15日、GHQにより「神道司令」として信教の自由の確立、軍国主義の排除、国家神道の廃止が実施され、翌年9月には靖国神社を宗教法人として登記しました。そして、その後も国が合祀のための便宜提供(戦没者指名の通知など)を続けます。

同年11月3日には日本国憲法公布(翌年5月3日施行)され、明治憲法にはなかった政教分離原則を明文化。宗教(絶対価値にかかわる領域)と政治(世俗的相対的価値にかかわる領域)の一体化を防止し、精神的自由・政治的自由の保持が掲げられました。

 国内外で様々な対立・靖国神社の問題とは?

靖国神社の問題の一つは太平洋戦争において台湾人漢民族(原住民族)45万人の合祀。ジャングルでの戦いに参加したということで日本軍兵士として戦没者となり靖国に合祀。平和的生存の権利、信教の自由確保の権利などが侵害されていることにあります。

また、靖国神社では神のいるところを座と呼び、2ヵ所存在しています。1ヵ所は戦没者236万人、もう1ヵ所が皇室2名です。座と呼ばれる場所においても差別を生み出しているのです。

すなわち、かつて天皇の名の下に繰り広げた侵略戦争の正当化につながるため、とりわけ国政を担う首相はじめ国会議員らの靖国参拝は、アジアをはじめ世界から厳しい抗議を受けています。日本国民自身が、アジア侵略の歴史とどう向き合うのかが問われているのです。

連帯ユニオン議員ネット