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袴田巌さん48年ぶりに保釈

 静岡地裁は、本年3月27日、1966年に起きた袴田事件の第2次再審請求で強盗殺人罪などで死刑が確定した袴田巌さんの再審開始と刑の執行停止および拘置の停止を決定しました。袴田さんは48年振りに収監先の東京拘置所から釈放されました。

 

袴田事件は、冤罪を指摘する報道が過去にされています。

袴田事件の謎を追う NNNドキュメント92

 袴田事件とは…

1966年6月30日に静岡県清水市(現・静岡市)で発生した強盗殺人・放火事件。みそ製造会社専務宅が放火され、焼け跡から一家4人の他殺体が見つかった。

当時、同社の従業員だった袴田巌さんが強盗殺人、放火などの容疑で逮捕され、同9月に起訴。10月に拘置所に身柄を送られるまでの間、静岡署で自白調書が45通作成された。その調書は、捜査官に誘導されるがままに作成されたものであり、信用性・任意性がないものとして44通が証拠採用を却下され、検察官が作成した残る1通の調書が証拠として採用された。

翌年67年8月、静岡地裁での1審公判中に、工場内のみそ貯蔵タンクから血痕が付着した5点の衣類が発見され、袴田さんを犯人として立証できる唯一の物的証拠とされた。

袴田さんは、公判開始から終始、無実を主張。しかし68年9月に出された判決は死刑だった。最高裁でも上告棄却され、80年11月死刑が確定した。

 


 
証拠も後日にねつ造 -筋書き通り自白強要

事件があった1966年6月30日から1ヵ月以上たった8月18日に袴田さんは逮捕され、以降19日間無実を主張し続けましたが連日の厳しい取り調べに、もうろうとなり9月6日警察が作り上げた筋書き通りに犯行を自供させられます。

しかし、この自白を裏付ける物的証拠は何もなく、警察は袴田さんを容疑者と決めつける物的証拠を何も発見していませんでした。警察の内部文書でも「本件は、被告人の自白を得なければ、真相把握が困難な事件であった」となっていました。

袴田さんは、1966年12月10日に始まった静岡地裁での公判から一貫して無実を主張しました。しかし1968年9月11日死刑判決が出されてしまいます。最高裁でも上告棄却され1980年11月9日に死刑が確定します。1981年、弁護側が裁判のやり直しを求める第1次再審請求を申し立てましたが、2008年に最高裁は棄却しました。

そして、48年間獄中から無実を訴え、外からは袴田さんを救う会が支援を行い、第2次再審請求で証拠とされていた事件当日のズボンの他5点の衣類を再鑑定することを決定しました。 そして裁判所は、「認定に合理的な疑いが生じた。DNA鑑定で袴田さんのものでも犯行着衣でもなく、後日ねつ造された疑いがある」と判断しました。


えん罪被害を無くし -被害者を取り返そう

これまで、免田事件、足利事件、布川事件など警察権力が証拠をでっち上げねつ造し、無実の人を獄中に長期拘留し続けてきました。

狭山事件では、事件から50年目の今年、石川一雄さんが第3次再審請求の実現に向けて支援者と共に闘っています。

映画「SAYAMAみえない手錠をはずすまで」の上映運動成功に向け部落解放大阪府民共闘の一員として私たち連帯労組も奮闘しています。 袴田事件の様なえん罪被害を無くすためには、取り調べの可視化を実現させなければなりません。


参考

袴田事件は、「無実の死刑囚・袴田さんを救う会」HPに詳しく掲載されています。

袴田事件 - Wikipedia

他にもあります。
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