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NPOMOA・ベトちゃんドクちゃん分離手術25周年記念式典に参加して

NPOMOAベトナム訪問団は、13年10月5~7日までベトナム社会主義共和国ホーチミン市を訪問した。今回は、「ベトちゃんドクちゃん分離手術25周年記念式典」出席するため垣沼副代表理事を団長に11名が参加した。
ツーヅー病院にて


10月5日の朝関西空港を発ち午後2時過ぎにタンソニャット空港に到着。
空港には、ドクくんとツーヅー病院平和村のタン院長、ハノイから来た浅田副代表理事、日本語学校のN社長、先に空港に到着していたSさんが出迎えてくれた。早速、バスに乗り「ツーヅー病院」へ向かった。

病院は土曜日で、平和村もお休みで子どもたちの病室も閑散としていた。2階の応接間でタン院長と歓談し、昨年12月以来の再会を喜びあった。今回の分離手術25周年記念式典に招待していただいたことへの御礼と平和村に寄付を行った。

 

10月6日は、「ベトちゃんドクちゃん分離手術25周年記念式典」に出席した。
式典は、ホーチミン市内のサイゴン川畔にある「マジェスティックホテル」の大ホールで9時から開会、最初に歌手のシンハイさんから「明るい未来のために」が歌われ、ツーヅー病院職員によるダンスとコーラスが披露され、タン医院長がツーヅー病院を代表して記念式典へのお礼の挨拶があった。

分離手術は、ベト・ドクの人生を決定づけるものであり、手術の成功に尽力をいただいた皆様の賜物です。すでに亡くなられた方もいる。分離手術を指導されたユンクソン医師は、今はいない。

ベトくんドクくんが1981年2月25日にヤー・ライーコントゥム省サ・タイ県の診療所で産声をあげ、数千キロ離れたハノイ市にあるベトナム・東ドイツ友好病院に移送されたこと。しかし、ハノイは冬が寒いので暖かいホーチミン市ツーヅー病院に転院し治療を行うことが決まり、82年12月に転院して2人は介護を受けることになった。

86年6月にベトちゃんが急性脳炎を発症し意識不明となったため、日本赤十字社に協力を要請し、日本へ緊急移送して一命を取り留めた。このときに分離手術への協力要請を日本赤十字社に要請した。そして2年後の88年10月4日にツーヅー病院でベト・ドク分離手術が成功した。

現在のツーヅー病院は、病床床約1000床という南ベトナム最大規模の産婦人科病院として知られている。分離手術後、ドクくんはどんどん成長して2006年12月には結婚、幸せな家庭を築き双子の子どもの父親である。一方ベトくんは弟によりよい生活をもたらすため、体のもっとも機能する部分のほとんどをドクくんへ譲り、病院内で手厚い介護を受けながら20年近くも続いた植物状態のなかで07年10月に亡くなった。 

この手術に70人以上の医師・スタッフが参加したことが、ギネスブックに登録されている。今後もツーヅー病院平和村へのご協力をお願いしたいと締めくくった。

来賓として招待された藤本文朗先生(ベトちゃんとドクちゃんの発達を願う会・会長)があいさつ。私は国交回復40周年記念で表彰を頂いた。25年前当時、手術室にエアコンが無いので寄付をすることになり、福井県の方から寄付していただきエアコン設置が実現できたことを思い出す。ベトくんドクくんを平等に扱うことを病院側に提案し、85年から3ヶ月ベトナムに留学した。内容はベトナム戦争による障害者問題や社会主義での障害者支援を研究した。その後、ファン博士から2人用特製の車いす支援を要請され日本で制作し、85年10月にファン博士が来日したときに完成した車いすの引き渡しをおこなった。

ダイオシキン(枯れ葉剤)は資本主義の問題であると提起を頂き、日本でもダイオシキン対策が進んだ。日本では原発被害であり、ベトナムでは枯れ葉剤被害である。被害の広がりを今後も検証しなければならないと提案された。

NPOMOAを代表して垣沼団長があいさつ。
「分離手術25周年記念式典にご招待をいただき心より御礼申し上げる。本日はNPOMOAから15名が出席している。さてNPOMOAは、「南大阪とアジアの平和友好の架け橋」という名称で2002年12月に設立し、2003年5月にNPO法人化した。私たちNPOMOAとツーヅー病院との交流は今から18年前1995年4月24日に第1次訪問団を派遣したことに始まる。この間、2005年3月に連合大阪・大阪府・大阪市の後援を受けてドクさんと病院のスタッフを大阪へ招き交流会を開催した。

2010年4月にもドクさん一ツーヅー病院からタン医院長ふくめ代表団を招き枯れ葉剤被害者への支援に向け交流集会などに取り組んだ。75年にベトナム戦争が終わって38年もなるのに枯れ葉剤被害が続いている。私たちNPOMOAは、今後もツーヅー病院、ベトナム枯れ葉剤被害者協会、こども発展財団との交流を重ね支援活動に取り組んでいく。最後に本日の記念式典を期に日本とベトナムとの友好親善がさらに深まることを祈念してあいさつとする」


戦勝記念会館ドクくん本人から記念式典参加者にお礼の挨拶と家族を紹介した。
そのあと日本の招待者やイギリスのゲストなどのあいさつが続き、最後は「幸せなら手を叩こう」を合唱して記念式典が終了。会場を変えて昼食会が開かれた。
記念パーティ終了後、一旦ホテルに戻り市内観光に出かけた。戦勝記念会館、統一会堂などを見学した。

10月7日は、ミトーメコン川クルーズ観光で1時間半バスに揺られて到着、ミトー市ではボートに乗りメコン川を横断して中州にある島へ、ここでは椰子油の石けんや蜂蜜の試食などを堪能した。ホテルに戻り休憩、夕食を済ませた後、ホーチミン空港まで移動し24時過ぎの便で関西空港へ帰国した。


参考

枯れ葉剤   ウィキペディア
ベトナム戦争 ウィキペディア Wikipedia EN

ベトナムの歴史 『資料ベトナム解放史』労働旬報社
(旬報社デジタルライブラリーで閲覧可)

  資料ベトナム解放史1 資料ベトナム解放史2 資料ベトナム解放史3

ベトナム戦争  ベトナム黒書(PDFで閲覧可) 労働旬報社

和光大学 ホームページ ベトナムの枯れ葉剤 /ダイオキシン問題 PDF
上記の資料では、障害をもった子供たち―世代を超えるオレンジ剤被害
  WHO によれば、オレンジ剤に起因する病気に苦しむベトナム人は480万
人にのぼる。100万人が高度の汚染を被り、そのうち70万人は障害を持つ子
どもたちである。そのうち、15万人の子どもたちが知的発達の遅れや視聴覚
その他の障害を持っている。その41%以上が日常生活を自立しておくること
ができず、53%が貧困線以下の生活である」
と述べている

 

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