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福島原発事故は終わっていない

福島フィールドワーク

○趣旨
福島原発事故による深刻な被害実態はなにも変わっていない。しかし、多くの労働者・組合員は原発事故があった事実ですら忘れかけている。このままでは、脱原発運動が次第に衰退していく事態を招きかねない。

運動を粘り強く拡大・強化していくためには、全国各地に、福島とつながる意識を持つ若い活動家を育てていくことが必要だ。その試みの一つとして、被災地の人々がどんな困難と直面しながら生活しているのかを、実際に、行って・見て・会って話を聞くフィールドワークを行った。


2月23日~24日にかけて、福島県フィールドワークに参加し、ホットスポットの1つといわれている渡利地区と町の大部分が第一原発から20キロ圏内に入り、「警戒区域」とされた楢葉町を見学しました。

23日(土)福島駅に集合して放射線量を測ると0.117μSv/hとでる。
渡利地区の除染状況を見学した後、吉野さんのお話を聞きました。

関心を持ち続けてほしい
福島の現状と在住子ども支援について
子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク  吉野 裕之さん

  子どもたちを放射能から守る福島ネットワークとは?

原発事故後、行政がスピーディーに対応してくれないため、2011年5月に結成された保護者の会。結成当初250名の保護者が集まった。

 

渡利地区0.724


渡利地区に入り、線量計を確認すると、福島駅前で確認した数値より、どんどん上がっていきました。原発事故前の線量は、通常0.05μSv/h 、原発事故後の2011年3月15日16時が24.24μSv/hで最も高線量だったそうです。子ども達は、外でほとんど遊んでいません。


 

 

 

   問題だらけの除染


  医療廃棄物用ケース

 シートに覆われた除去土

除染状況は遅れていて、事故から2年が経とうとしいる今も達成率は4%にも満たない状態です。除染が行われた家でも、除去土を保管できる仮置き場が地域に無いため、除去土を医療廃棄物用のプラスティックケースに入れ、土のうで囲んだ上からブルーシートで覆って庭に置いている状態です。

自分たちの生活空間から遠ざけたいため、庭の端に置きたい気持ちになりますが、端に置くと隣の家に近づけることになるので、端に置くこともできません。また、庭の無い家は、親戚や近所の人に頭を下げ、保管場所を借りなければなりません。

市内では、青いシートを見ると、除去土を思い浮かべ「近づくと汚染される」と敏感になっている住民もおり、『ブルーシート病』と問題になっているそうです。 除染は、1度では終わらないし、除染が終わっても線量が規定以下にならない場合も多くあります。環境省の決まりで、落ち葉を取って、木を刈らなければなりませんが、放射能に汚染された落ち葉が溶け、2年分の放射能が土に染み込んでいるため、除染したことによって放射線量があがる現象も起きています。
2年間で住民は、あきらめ始めており、放射能を毎日気にして暮らすことに疲れ、家や職場内で原発事故や放射能について話すことを嫌がる人が増えているそうです。


 子ども達の避難と保養
福島の子ども達は自由に外で遊ぶことの出来ない状態が、今も続いています。事故後1年目は、子ども達の運動量が減り、食欲も減ったため事故前の年に比べると、園児(4歳~5歳)の体重の増加が4分の1になったという結果がでています。

事故後2年目になると、5歳から17歳の子どもに「肥満傾向」の割合が増えています。家の中で遊ぶことが増え、屋外活動を制限した学校も多く、運動不足が原因の1つと言われています。また、走り方や泳ぎ方を忘れてしまう子どもも増えているそうです。

屋外で自由に遊べない子ども達のために、福島市などが室内遊び場を設置したりしていますが、幅広い年齢層の子ども達がたくさん利用するため、遊具やおもちゃの順番がなかなか回ってこなかったり、小さな子ども達の安全も考えながら動かなければならないため、逆にストレスを感じさせてしまう問題も起きています。
『子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク』では、長期休暇を利用したグループ単位での保養や、学期期間中に担任が同行し、クラス単位で行う教育保養プログラムなどの取り組みが行われています。

子ども達は、放射能の影響も受けやすいですが、細胞分裂が盛んなため、放射線量の低い場所で一定期間過ごすと、体内に蓄積された放射線量を減少させることができ、10歳で約38日、8ヶ月の赤ちゃんでは、数日過ごせば半減するそうです。最後に吉野さんは「子どもの事を考えてほしい。福島に関心を持ち続けてほしい」とおっしゃっていました。

 

 

広島・長崎・福島を繰り返さないでほしい
原発事故後の人々
三春町の歴史伝承館で鈴木 匡さんのお話を聞きました。


上の地図上の数値は、放射線の管理区域の数値です。放射線の管理区域とは、人がその場所で生活してはいけない線量の事を言います。空間線量の基準値は0.6μSv/h で、当時は行政の対応が遅かったため、約170万人の人が生活してはいけない線量の中で、生活させられていたことになるそうです。 

事故後、福島県内の農作物生産者は「私たちは、原発被害者であるが、作物を市場に出すと加害者にもなってしまう」と廃業した方がたくさんいました。自ら命を絶った方もいたそうです。 また、事故当時に妊娠していた方のなかには、「この環境で産み育てる自信がない」と中絶した人もいました。


 除染より避難
除染作業員ではなく、一般の方が除染作業をしている最中に突然死されています。吸って体内に取り込んだ放射線は、食べ物として取り込むのとは違い、排出することがないため、内臓に悪影響を及ぼし1番怖いそうです。
除染より避難をするほうがいいのですが、経済的な理由や子ども達が中学生以上になると、友人と離れたり、部活動が出来なくなることを嫌がり、避難できない家庭があることが現状です。











      三春町歴史伝承館

国の保障がないため、自己負担で自主避難をするしかありません。離婚して避難したり、家族が離れ離れになっている家庭もあります。しかし、県外に自主避難した人は、県内に残っている人たちに非難され、地元に戻ると、肩身の狭い思いをしているという問題が起きています。
鈴木さんは、「除染より避難。一時でも福島を離れるべき。国は福島に県民を留めて健康データを取りたいだけだ。私たちはデータを取られ、診察はしてくれるが、治療はしてもらえず、モルモットのように扱われている。火山と地震が盛んになっているというのに、4号機がつぶれたら、日本は名古屋以西にしか住めなくなる。広島・長崎・福島を繰り返さないでほしい。」とおっしゃっていました。

 

 

 

 

 

 

 

原発ゼロを目指す運動のさらなる前進を
深刻な被害
原発問題住民運動全国連絡センター筆頭代表委員  伊東 達也さん


 深刻な被害
伊東さんはこのような事故を予想して、7年前から原発問題の運動に取り組まれていました。

福島第一原発事故は、セシウムに限れば広島原発の約168個分という大量の放射性物質を放出しました。地震を引き金にして発生した『原発震災』は世界で初めてです。

強制避難の約15万人が生活手段を奪われ、人生を根本から狂わされました。未だ家族そろって住める家もない、希望もない、展望もないという過酷な状況にあります。避難時や避難先などでの「震災関連死」(大部分は原発事故に起因している)は、2013年1月の時点で1,270人に上っています。

事故発生から3年目になろうとしていますが、県内のほとんどの地域では、自然放射線量を大きく超える人工放射線量にさらされており、多くの人が苦しみと不安、ストレスの中で暮らさざるを得ません。しかし、低線量の被曝症状のデータがないため、比較的低線量被曝地域への東電と政府の対応はひどく、被災者にとって最も大切な放射性物質の除染も検診も地方自治体に押し付けたままの状態だそうです。放射線は五感で「確認できない不安」影響がどのように出てくるか「わからない不安」が強いストレスをもたらし、低線量地域に住み続ける人々を長期間にわたり苦しめます。

全基廃炉へ
政府は20年間は帰還できない地域があると認めており、すでに30%以上(多い所では40%~50%)の県民が「地元に戻らない」とアンケートに答えています。また県民調査では、「県内原発全て廃炉にすべき」と75%以上もの県民が全原発廃炉を求めています。
 

 

子ども達を守るために 子ども達の父親の労働を守る
除染労働者の実態
いわき自由労働組合  桂 武さん

除染労働者は、毎日被曝しながら労働をしています。原発事故の収束作業も被曝労働がなければできません。しかしその労働者は、非正規であり社会保険もなく、労働災害隠しの横行の中で、線量がいっぱいになれば雇用保険の適用もされず放り出されたり、一部の高線量地域で働く労働者は労働時にヘルメットのみが支給され、防護服やマスクは自己負担。

夕食もナス・ピーマン・もやしを茹でただけなどと全く無権利状態で労働をしている現実があり、現在4名の方が労働組合に加入されています。また、危険な仕事に報いるために税金から支払われる特殊勤務手当が、環境省がゼネコンに発注し、多くの下請け会社が加わる多重構造の中で、作業員本人に届いていない実態が発覚しています。

  特殊勤務手当とは
被曝の危険性や精神的労苦に対し、政府の除染で働く人に支払われる。環境省が元請けとの間で現場の線量などに応じて3,300円~10,000を支給する契約を結んでおり、通常は作業員を雇う会社から本人に支払われる

 
その他にもゼネコン・一次下請け・二次下請けの前で労働者にウソのアンケートを書かせて環境省に送り、ウソが書けなかった労働者に対しては、次の日から仕事を与えないという問題も起きているそうです。桂さんは「ゼネコンに頼らず、環境省が直接雇用するべきだ。私たちは労働組合として、子どもを守るために父親の労働を守る」とおっしゃっていました。

 

 
24日は、第一原発から20キロ~30キロ圏内にある町を訪ねました。



            広野町
町全体が第一原発から20キロから30キロ圏内にあり、「緊急時避難準備区域」となりましたが、全町民が避難しました。 事故前の人口・・・5,400人(1,800世帯)

2011年9月に「緊急避難準備区域」が解除されて帰村が可能となりましたが、2012年に調べた時点では205人しか戻っておらず、戻っている人もほとんどが高齢者です。道中、海沿いを走ると津波で流された家の跡が続いていました。

  楢葉町
避難区域になった14自治体のうち全住民が避難した9自治体の中の1つ。町の大部分が第一原発から20キロ圏内に入り、「警戒区域」とされました。
事故前の人口・・・7,700人(2,580世帯)
現在は役場をいわき市に移転しています。
2012年8月10日に「警戒区域」から「避難指示解除準備区域」となり、出入りができるようになりました。(宿泊は禁止)


町内にあるコンビニの時給は日中でも1,000円でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

人のいない町
住宅のあった場所は全く復興されておらず、津波によって流された車や木などがそのままになっており、消防車も流されてきていました。出入りができるようにはなっていても、ほとんど人はいません。潰れたままの家が立ち並び、出入りができても住民は帰る家が無い状態でした。

 

 

甚大な事故ではない!たまたまこの程度ですんだ
本当の復興や再生はない
楢葉町にあるお寺、宝鏡寺の住職 早川 篤雄さん(73)

本当の復興や再生はない
早川さんは、地元に原発(福島第二原発)が新設されることを知り、1972年から原発反対運動を開始した方です。スリーマイルに1回、チェルノブイリには2回訪問されています。早川さんの初めの一言は「被災地に来てくれてありがとうございます」でした。ご自身がチェルノブイリに訪問された際、現地の方に「悲しい国にわざわざ来てくれてありがとうございます」と言われたそうです。
お寺の住職である早川さんは、避難している間大切な9体の仏像を盗難から守るため、避難先の押し入れに保管しています。
早川さんは、「復興や再生と国は言っているが、ごまかしばかりで民を切り捨てる政策だ。本当の復興や再生はない。若者が戻ってこないのに、3・11以前に戻れるはずがない。原発の再稼働や新設をさせたらいけない。福島原発事故は、甚大な事故と言われているが、甚大な事故ではない。よくここまでの被害でおさまった。この程度でよかったと私は思っている。浜岡や福井でおきたら、こんなものではすまない!」とおっしゃっていました。

荒れた駅
最後に現在封鎖されている常磐線の竜田駅を見学しました。
駅の中には入られないように扉が閉じられていました。ホームや線路付近は草が生い茂り、駅前のポストは使用できないように布でグルグル巻きに、自販機はこじ開けられ盗難にあっていました。

 

【最後に】
今回福島フィールドワークに参加させて頂き、現地に行って見たり、聞いたりしないとわからない事がたくさんあることに気付きました。家族が分断され、同じ被害者同士である県民が分断され、非難しあっていると聞き悲しい気持ちになります。県民の方々にとって原発の話や放射線の話は禁句とされていると何人もの方から聞きました。「毎日放射能の事ばかり気にしていたら、頭がおかしくなりそうだ」本当にその通りだと思います。だからこそ、他県から訪問し、現状を知った私たちが原発や放射能の恐ろしさ、福島の方々の苦しみを伝え広めていかなければならないと思います。

私は、福島県いわき市に友人夫婦がいます。事故当時、友人は妊娠中でした。「さよなら原発1000万人署名」の際、署名用紙をコピーして送ったところ、わずか1週間で200筆以上の署名が返送されてきました。その時、これは福島の方々の本当の声なんだ。この1筆1筆を無駄にしてはいけないと思いました。

この福島原発事故の被害は、私たちの暮らす地域でも、起こり得る被害です。福井県の原発で事故があれば、福井県だけでなく近隣の都道府県はもちろん被害を受けるし、琵琶湖が汚染されれば、更に多くの人に影響を及ぼします。人間と原発は共存できません。私たちはもっと、原発事故を身近に感じなければならないと思います。

放射線の1番の恐ろしさは、肌で感じることも目で見ることもできない事です。 
汚染されていることも、県民が苦しんでいることもわかるのに、私たちには今ある汚染物質を取り除いてあげることができません。私たちにできることは、福島を繰り返さないために、子ども達の未来を守るために大きな声をあげ、運動をしていくことです。

私は今後、子どもを産み育てる世代として、いろいろな事情で避難できない子ども達の健康とこれからのためにも、子ども達にとって本当に大きな意味のある「保養」の受け入れ先になる取り組みができたらいいなと思っています。前向きな検討をよろしくお願いします。

 

福島フィールドワーク写真集


 ウィキペディア 福島第一原子力発電所事故
           福島第一原発事故による放射性物質の拡散 
           東北地方太平洋沖地震    

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