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NPOMOAベトナム訪問団報告

 

1.はじめに
NPOMOAは、本年4月24日から5月2日までベトナムホーチミン市にあるツーヅー病院からタンさん、ボンさん、ヅゥエンさんの各医師とドクさんを大阪に招致して、枯れ葉剤被害者支援事業に取り組みました。この事業は、5年ぶりに大阪で開催し成功裏に終わりました。そして今回、NPOMOAはその返礼のため6月9日から14日までの6日間ベトナムを15人の団で訪問しました。近畿地本から垣沼委員長、トラック支部から横川書記長が参加しました。
 
2.2年ぶりのハノイ市

空港からハノイ市内への途中の風景 (高層ピルが多くなっている)

6月9日関西空港を11時過ぎに発ち、ハノイ市に14時45分過ぎ到着、空港には浅田副代表理事が出迎えてくれました。早速バスで宿泊するホテルへ移動、2年ぶりに車窓から見るハノイ市は、新しい建物が次々に建てられており経済建設が進んでいることを実感しました。夕食は結団式を兼ねて近くのベトナム料理レストランで食べました。6月10日は、ホテルを8時30分頃に出発してホーチミン廟を見学し、ホーチミンさんの遺体と面会しました。

廟の近くにある「一柱寺」を見学、この寺は一本の大きな柱の上に仏像を載せた珍しい構造の仏教寺です。このお寺は子宝に恵まれない人たちが訪れ、子供授かるようお参りしています。
その後、ベトナム枯れ葉剤被害者協会を訪問して、支援金を贈呈しました。被害者協会では、アメリカの製薬会社を相手に枯れ葉剤被害者への賠償を要求してアメリカ国内で裁判を起こしましたが残念ながら却下されています。現在は、再度アメリカ国内での提訴に向けて準備をすすめているとのことでした。
 
お昼に、ベトナム在大阪元総領事の家族を招待して昼食交流会を開催、旧知を暖めました。午後は、孔子を祭るために1070年に建立された孔子廟とも呼ばれる「文廟」を見学。敷地内に1076年にベトナム初の大学も開校され、学問のシンボルになっています。大阪で言えば、北区にある菅原道真を祭る天満宮のような寺です。
 
ホエンキム湖近くにある「ホアロー収容所」に行きました。ここは、フランス植民地時代の1896年に造られた監獄です。ベトナム戦争当時は、捕虜になった米軍兵士が収容され、別名「ハノイ・ヒルトン」と呼ばれていました。フランス植民地時代は、囚人に足枷をして行動の自由を奪う人権侵害はなはだしい監獄で、部屋の中には当時死刑に使ったギロチンが展示してありました。 市内見学後、19時10分発の飛行機でハノイ・ノイバイ空港からダナン空港へ向かいました。到着後ホイアン市のホテルへ移動し、遅い夕飯をとりました。
 
6月11日は、朝7時にホテルを出発して1968年当時、米軍により村民が無差別乱射で虐殺された「ソンミ村」に向かいました。約3時間バスに揺られて着くと、整備された駐車場の横にソンミ村事件の展示場があります。ここに1968年3月16日当時の状況を示す写真やジオラマがあり、事件で亡くなった村民504人(男149人、妊婦を含む女183人、乳幼児を含む子ども173人)の名前を刻んだプレートが壁に飾られていました。外には慰霊塔があり参加者一同で冥福を祈りました。ソンミ村の跡地がそのまま遺され豚や鶏、猫の死骸もリアルに表現されています。米軍は、藁葺き住宅をライターを使って次々に火を放ったのです。この事件は、ひた隠しにされていましたが作戦に同行していた従軍記者が69年12月米国雑誌に掲載され世界中に衝撃を与えました。その結果、アメリカのベトナム侵略戦争に国際的な批判が集中、支持を失ない、アメリカ国内外で反戦世論が高まりました。
 
見学終了後、バスでホイアン市へ戻り昼食に海鮮料理を食べて午後からホイアン市委員会を訪問しました。市委員会では副市長が対応され懇談しました。副市長は、在大阪総領事館からの紹介で面会しました。副市長は、これからNPOMOAとホイアン市が交流・友好が深まることを祈念すると挨拶後、ホイアン市の状況を報告されました。ホイアン市の歴史で17世紀に日本との貿易が盛んに行われ多くの日本人が住んでいたこと、当時亡くなった日本人の墓が最近見つかったこと、2003年には日越友好30周年記念事業をホイアン市で開催され、毎年8月に記念事業を継続していることなど、ベトナムと日本との文化交流・友好を繋げたいと言われました。終了後、近くのレストランで副市長を囲んで交流会を開催。なごやかな雰囲気で懇親しました。ホイアン市の夜空に満天の星がきらめいていました。終わってから日本人街を散策。提灯が光輝き、来遠橋もライトアップされ綺麗でした。
 
6月12日は、朝食後バスでダナン空港へ向かい、ホーチミン市へ移動しました。11時過ぎにタンソンニャット空港に到着。空港にはドクさんが出迎に来られ、1ヶ月ぶりの再会です。バスでツーヅー病院へ移動、平和村入口では、タン村長、ボンさんが私たちを出迎えてくれました。1Fの会議室で早速懇談、ツーヅー病院を代表して副医院長から歓迎の挨拶を受けました。そして、訪問団を代表して大野代表理事から4月に取り組んだ枯れ葉剤支援事業への御礼をのべ、ツーヅー病院平和村との友好・交流が深まるよう取り組みたいと報告されました。また、枯れ葉剤記念事業で集約された寄付金の残りをツーヅー病院に贈呈しました。ドクさんには、双子の子どもたちへのお土産を渡しました。双子の赤ちゃんフーシくんとアンダオちゃんは、すくすく元気に育っていました。
 
昼食はツーヅー病院で用意していた海鮮料理を舌鼓み。私は蟹、エビ料理が食べれられないのでそれ以外の料理を頂きました。美味しかったです。昼食後、枯れ葉剤被害にあった胎児の標本を見学、ベトナム戦争後35年経った現在でも枯れ葉剤による影響の重大さを痛感しました。3階にある平和村を訪問、入院している子どもたちに日本から持ってきたお土産を配りました。貰った子供たちは元気にはしゃいでいました。午後は、75年に解放されるまで南ベトナム政府の大統領府があった「統一会堂」を見学。私は80年に訪問して30年ぶりだったので建物の中に入ったときは感無量でした。各部屋には英語や漢字で表記があり、大統領が閣議を執り行った会議室は当時と変わらないテーブルとイスが在りました。夕方から水上人形劇を鑑賞しました。この人形劇はベトナムの農村の生活や伝説などを題材に、水面を人形が跳ねる独特の伝統芸能です。ストーリはいたって単純明快で、言葉が分からなくても人形の仕草を観ているだけでも面白いです。
6月13日は、午前中ベトナム戦争当時の激戦地であるクチを訪問しました。ここは南ベトナム解放戦線の拠点で、何度も米軍の攻撃を受けましたが地下トンネルを活用して米軍を撃退しました。武器は米軍の不発弾などを再生して活用していました。落とし穴をあちらこちらに造って米軍の歩兵を誘い込んで穴に落として戦意喪失させたり戦車を下からロケット砲で攻撃したり、ヘリが降りてくれば風に反応して地雷が爆発して墜落するなど創意工夫した戦いを繰り広げました。1975年4月30日サイゴン陥落の時は、クチからホーチミン市内(旧サイゴン市)にある大統領府など政府施設を占領するため解放戦線が向かったそうです。
 
午後は、ホーチミン市内にあるドンコイ通り(お土産物のショップが並んでいる)をウインドショッピングして、日本へのお土産を買いました。夜は、近くのレストランでツーヅー病院のタンさん・ボンさん、ドクさんを招待して夕食会を開き懇談しました。その後、タンソニャット空港へ移動し午前0時10分発のベトナム航空で翌14日午前7時過ぎに関西空港へ到着しました。
 
今回のベトナム訪問では、ハノイでフランス統治時代の刑務所跡、ホイアンでソンミ村、ホーチミンでクチとベトナム戦争当時の戦跡を巡るという内容の濃いものでした。
枯れ葉剤被害は、未だにベトナム全土に拡がっており私たちNPOMOAの支援活動はこれからも重要な取り組みだと実感しました。NPOMOAにたいして引き続きのご支援・ご協力をお願いするものです。

 

2010年6月                
NPOMOA副代表理事          
近畿地方本部 執行委員長 垣沼陽輔

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