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狭山事件の再審を求める12・7大阪独自要請及び現地調査
「運動場明渡し裁判」最終報告集会

部落解放大阪府民共闘会議からの呼びかけで12月7日狭山事件の再審を求める要請行動・現地調査に近畿地本から2名が参加しました。

この事件は、1963年5月1日に埼玉県狭山市で発生した、高校1年生の少女を被害者とする誘拐殺人事件です。
事件の容疑者として、石川一雄さん(当時24歳)が逮捕・起訴され刑事裁判にかけられましたが、一審の死刑判決後に冤罪を主張。その後、無期懲役刑が確定して1994年に仮釈放されるまでの31年7ヶ月という長期間服役しました。
しかし、これまでの捜査経過にも問題点と疑問の声があがり石川さんと弁護団・支援団体が冤罪であると再審請求が行われています。またこの事件は部落差別との関係も問題となってます。今回の行動は、9月10日の狭山事件に関する裁判長・検察官・弁護団による3者協議が実現し、再審へ向けた動きが展開されているからです。当日は東京高等検察庁などへの要請行動に大阪から12名が参加しました。

最初に訪問した東京高等検察庁では、捜査された資料は積み上げれば2~3mにもなるといわれる、検察が隠し持つ証拠の開示と再審開始を求めたハガキ(9258筆)を持参して要請を行いました。その場では、部落解放府民共闘会議からの申し入れと各支援団体から狭山事件で犯人にされた石川さんの悔しさと無実を訴え、必ず再審開始と証拠開示が行われるよう要請しました。
続いて、東京高等裁判所にも同じく公正な裁判が行われるようにハガキ(9406筆)を提出し、再審再開と証拠開示を要請しました。
終了後、事件現場となった狭山市へ向かいました。ここでは、石川さんに自白を強要して作り上げられた事件の犯行経路と判決認定の疑問点・合理的な疑問について部落解放同盟中央本部の担当者から経過説明を受けました。でっちあげられた自白経路である、入間川駅(現在狭山市駅)から始まり→荒神様のお祭り場→女学生と出会ったX型十字路→犯行現場(雑木林)→農道を通り200メートル先の芋穴に遺体を隠した場所→最後に事件当時家宅捜索された(石川宅)のルートを歩いて確かめました。
46年前とは景色も変わっていますが、当時、駅前のお店で石川さんは牛乳2本とアイスクリームを買い、それを飲み食いして14時頃からお祭りしている神社まで歩いたとされています。当時、狭山周辺では養蚕がさかんで、カイコの神様である荒神様(正式には三柱神社)では、毎年5月1日にはお祭りがおこなわれていて事件当日も境内には露店が並び大勢の人でにぎわっていたそです。お祭りに来た人は700~800人位だったといいます。しかし、当日お祭りに来ていた人で、石川さんも被害者の善枝さんも見たという人はいませんでした。
この荒神様のお祭りでは例年お囃子をやっているのですが、この年は、準備ができなくてお囃子ではなく、代わりに流行歌などのレコードをスピーカーで流していたということです。石川さんは、この神社の横を通ったとされています。
第二審判決では、「被告人がそこを通った際にたまたまレコードがかかっていないこともあり得るし、レコードがかかっていても被告人が気にとめなかったこともないとはいえない」と言っていますが、荒神様から500mほど離れた畑で農作業をしていた小名木さんという人がお祭りの音楽を聞いたと証言しています。だから石川さんが音楽を知らないことはないし、実際この場所には来ていないとが明らかです。また女学生の下校時刻は15時23分と証言されています。ですが出会った所までの時間は判決で15時50分となっています。でも、調査で時間を計りながら歩いてみると約20分程度で着きました。自白からすれば1時間半以上もかかってることになっているのです。
この場所で女学生に声をかけてそのあと女学生が自転車を持ち、石川さんは自転車をはさんで一緒に農道を歩いて犯行現場の雑木林に向かったとなってます。
説明を聞くと女学生の性格はスポーツ好きで勝気な高校生だと父親が言うほどです。学校帰りにいきなり見知らぬ若い人に離れた雑木林まで付いて行くとは考えられません。事件当日は農道の両側は畑で、近くで家族が農作業をしていた人は、このような二人づれは見ていないと証言しています。また農道と畑は見通しが良く、他にも車で通った人や畑仕事をしてた人も居り、警察は聞き込みなどを行ってるのにそうした報告書などは全く証拠開示されていないのです。
石川さんの自白では、この雑木林が事件の核心部分である強姦・殺害現場になってますが、ところが犯行現場であることを裏付ける証拠は一切ありません。それは被害者を雑木林に連れ込んだとされる時間は16時過ぎ頃で北隣の桑畑で農作業(除草剤の散布)をしていた人は、その時には悲鳴も聞いていないし人影もなかったと答えていることと、農作業場所から殺害現場との距離は約20メートルしかなく、桑畑で農作業をされた方もその同様の証言をされています。そして、その殺害現場から女学生を両腕でかかえて農道を通って約200メートルも離れた芋穴まで運んで隠して置いたとなっています。
ところが事件当日は、雨が降っており農道は相当なぬかるみ状態で、本当に死体を運搬したとするなら、自白の中でどれほど困難なことであったか、何回も休んだり、手足をすべらして死体を落とすことも考えられます。自白による方法で死体を約200メートル運ぶことは不可能であり、また犯行現場に血痕はなかったと証言しています。
最後に三回も家宅捜索が行われた石川さん宅で、お話を聞きました。
2回の徹底した捜索でも未発見だった女学生が使っていたとされる万年筆が、3回目の捜索でお勝手口のカモイから発見されたのです。2回の捜索でカモイの上に置かれた万年筆を刑事たちが見落とすことは考えられません。また元刑事からも「カモイの上に手をいれてしらべたが何にもなかった」と証言があり、発見された万年筆のインクは(ブルーラック)で被害者が使ってたのは(ライトブルー)と違っていてこの万年筆については疑問だらけです。
その場所で石川さん夫婦と会うことができました。ご本人からもこれまでの事件に関する話があり、石川さんからは差別問題と他に物証や取り調べ方法などに数多くの不審点が見られることや、関係者の中で相次ぎ自殺者(5名)が出でいる事などの問題点があります。また脅迫状を出して身代金を要求し、5月2日の夜に兄さんの地下足袋をはいて身代金を取りに行ったと自白しています。石川さんは、このとき警察から自分が犯人じゃない場合は、兄さんが犯人ではないのかと言われ、兄さんと足のサイズが違うけれど家族の事を想い、誤った自白をしてしまったと話されました。石川さんのとても悔しい思いが伝わりました。 
今回、長い期間苦しんだ石川さんの冤罪事件が解決できる山場となる12月に3者協議が再度開かれます。それに向けて全国の仲間が支援行動を行っています。そして冤罪事件として社会的な反響を呼んだ足利事件の菅家さんが言われてる、「取り調べの可視化」を実現して二度と再びこのような冤罪事件が起こらない社会をめざし、今後も狭山事件の動向を注目しながら支援・協力を行っていきます。

            連帯ユニオン近畿地本 表みゆき書記長

連帯ユニオン議員ネット