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日韓民主労働者連帯09年定期訪韓団記
09訪韓団長 坂田

 
09年5月27日から5月31日までの五日間、団長(日韓労働者連帯事務局)の私を含む、関西地区生コン支部、全港湾神戸支部、ユニオン大阪、神戸ワーカーズユニオンの5名の構成メンバーで韓国の全羅北道とソウルに訪問しました。
「日韓労働者連帯」の代表であり、「民主労総全北本部」の名誉指導員でもある中村猛さんが手弁当で始めた全北労働者との交流と共闘事業は、既に20年の歳月を迎えようとしており、我々全日建が韓国の建設運送労組と共に02年にスタートさせた「日韓共同闘争委員会」についても8年目に入りました。
「日韓共同闘争委員会」や「日韓民主労働者連帯」は、中村さんにもコーディネーターとして準備段階から中心的役割をお願いし、現在の取り組みまで発展させることができました。韓国の仲間や中村さんが日本の労働者に残してくれた運動の足跡は、私たち自身の活動にとっても大きな確信と自信という新しい運動を作りだす大きなきっかけになっていることは疑う余地がありません。
「日韓共同闘争委員会」では、日韓セメント・生コン労働者の共同闘争を通して、セメント・生コン業界の最大手である日本の太平洋セメントが韓国の雙龍(サンヨン)セメントを買収して、その上に韓国で労働組合を弾圧し、また違法な行為を繰り返してきたことに対する継続した闘いを内外に示しています。この間、太平洋セメント以外にも韓国には多くの日本資本が進出し、法的保護の網の目を巧妙にくぐり、安価な労働力を背景に、さらに賃金格差をつくり劣悪な労務管理の手法を構造的に作り出して労務支配を実行してきたアジアスワニー、韓国スミダ、韓国シチズンなど在韓日本系資本で働く労働者の来日闘争など日韓労働者の共同闘争もありました。

私にとっては03年の建設運送労組への派遣留学時も含めて、全北地域への訪問は5回目であり、懐かしい仲間にも会うことができ、又、変わることなく運動に精力的に取り組んでいる姿に、感慨深いものを感じました。
訪問団は、ヨンサン(ヨンサン地域開発地域の撤去民闘争現場)チョンジュ(貨物連帯の闘争現場への激励及び金属労組との交流)・イクサン(民主労組全北本部にてシンポジューム)・クンサン(反米基地闘争現場と平和の風の家を訪問)・ヘムンサン(パルチザン闘争の軌跡を学ぶ登山)・ソウル(障害者移動権運動の仲間との交流・ソウル衣料労組との交流)という非常に強行軍であるが、密度の濃い日程を組んでいただいた。
今回の訪問の目的と獲得は、各闘争職場への激励、現状の日本と韓国の労働環境についての報告・討論でしたが、私自身は、全羅道(全南道・全北道)の闘いの歴史から学ぶという事に眼目を置いていました。
特に、全羅道から朝鮮半島全域にまたがった反日民衆抗争が今日の韓国の民主運動に大きな影響を与えているからであり、民族の失われた自主性を取り戻す戦いの歴史は、熱く激しい闘争の脈絡として民族の血の中にしっかりと留めていること、今日の農民運動、労働運動、市民運動の中にも、その脈絡はしっかりと生きていると思ったからです。
つたない韓国語を屈指しながらも、そのことを韓国の仲間から直接聞きたかった事と、きちんと伝わらない事に妥協したくない、タプタプハダ(ジレンマ・葛藤・モヤモヤした気分)といった気持ちの部分を払拭したかった訳で、時にメモや翻訳機も使いながら、どうにかこうにか、自身が伝えたかった事や学びたかったことは理解できたと思い込めた09訪問団でありました。

欧米列強に肩を並べたかった日本帝国主義は、征韓論を実行に移して強制的に朝鮮の植民地化政策を図ったが、全羅道地域においては、朝鮮民衆の激しい抵抗運動の組織や農民運動(東学農民運動)、義兵団の組織、光州においては反日帝学生闘争やパルチザン活動を展開し、当時の政治、経済、教育、文化のありとあらゆる分野において、皇民化政策の名の下に朝鮮民族の尊厳の抹殺を図らんとする日帝に対して反抗闘争を繰り広げた中心の地域であったのは、不義を許さず、義を重んじる全羅道人の気質にあるのかもしれません。


直近の闘いでは、1980年5月18日~27日の10日間にわたって、韓国南西部の全羅南道・光州市では、民主化を求める市民、学生、労働者たちと軍(全斗煥戒厳令軍)の壮絶な闘いが繰り広げられ、民主化を求めた200名以上の市民や学生が虐殺された闘いがあり、今でも「全羅南道光州」と「チョン・テ・イル氏が烈士となった東大門の平和市場」は民主化運動の聖地とされています。
韓国の仲間が「全羅道や平和市場」にこだわるのは、こうした事情によるようです。このような、おびただしい数の犠牲者によって、切れ間のない民主化を求める闘いは継続され、徐々に民主化が勝ち取られ、95年に全国民主労働組合総連盟が韓国に結成されて以降、韓国の労働運動を実質的に形作ってきたわけです。
現在では、民主労総が韓国労働運動といっても過言ではない、働くもの拠り所として社会に大きな影響力を与えるところまで運動を拡大強化させるようになりました。
しかし、我が日本の闘争も捨てたもんじゃないということを此処に列挙しておきます。
(郡山)クンサンや(平澤)ピョンテックの直接的な行動も目のあたりにしてきたわけですが、日韓の反米、反基地の意識の高まりを象徴するような韓国の仲間から力強いメッセージを頂いた。「沖縄の民衆は、米軍が我が物顔で振舞っていることに対し、反米、反基地闘争を継続しているし、我々韓国人も誇りに思っている。そして日本の平和運動は、これからも高揚すると確信しているし、学ぶところが多い」と反基地平和運動を行っている「平和の風」のメンバーが答えてくれたことと、ゴザ暴動や教科書問題、日米地位協定、岩国市長選についてまでもを詳しく知っていたのには驚いたが、全羅道にきて改めて「沖縄の闘い」を自身がどれほどに労働運動の確信にしているのだろうか、受動的な取り組みとしてしか参加できていないのではないのかという反省をさせられてしまったことを正直に書かざるを得ません。
労働者も、企業内、国内に止まらず、世界を視野に入れ、国境を越えて闘わずして、自らの解放がありえないことがはっきりしてきました。
アメリカ資本は、さらに利益を求めて新自由主義と軍隊という用心棒を引き連れ世界中を徘徊しています。
全羅南道出身の元大統領の金大中は、「行動しない良心は偽善である」と言ったそうです。アメリカ追随の政策はアジア民族滅亡の危機につながります、「行動して社会変革を起こす」そのような大きな力の一翼を担えるような運動にしなければなりません。

以  上

連帯ユニオン議員ネット