沖縄の歴史・文化・経済を学ぶ3日間

南大阪平和人権会議 沖縄現地学習会

南大阪平和人権会議の呼びかけで、沖縄現地学習訪問団が結成され、4月21日から23日、総勢18人の訪問団が沖縄本島を訪れ、基地問題や沖縄の文化について学習を深めた。

辺野古新基地建設阻止の闘い
4月21日、訪問団は新基地建設が進められるキャンプシュワブ、辺野古ゲート前の座り込み闘争現場を訪問した。沖縄統一連の瀬長さんが訪問団を迎えて辺野古新基地建設の現状を説明してくださった。
大浦湾の海底は90mの地下までマヨネーズ状の軟弱地盤であることが分かっていて、埋め立てて飛行場として使うことは技術的に不可能であることが説明された。現在キャンプシュワブに入構するダンプの多くが空荷で、基地内にある赤土等を積んで搬出することが多いという。
辺野古新基地は、住宅に囲まれて世界一危険と言われる普天間基地の代替施設として建設が進められている。瀬長さんは、事実上埋め立てが不可能な辺野古新基地建設を、アリバイ的に続けることによって、普天間基地を継続利用する根拠としているのではないかと説明した。
また、コロナ禍で辺野古の闘争に結集することが難しくなったなかでも、一分一秒でも基地建設を遅らせるための闘いが続けられていることが報告された。
辺野古ゲート前の座り込みのほか、安和桟橋での行動が取り組まれている。埋め立てに使うための土砂が阿波桟橋からガット船に積み込まれ、辺野古に搬入される。土砂を積載したダンプの前をゆっくりと歩くことで搬入を遅らせる牛歩作戦が行われている。
訪問団が辺野古を去った後、安和桟橋を通りかかったが、まさに行動が展開されている最中で、ダンプが長蛇の列をなしているところが見られた。厳しい状況下でも工夫を凝らした闘いが継続されている。

激戦地伊江島訪問
翌22日、訪問団は伊江島を訪れた。伊江島は、米軍が最初に上陸し凄惨な地上戦が行われた地域として知られている。戦後、島の面積の65%を米軍用地として接収され、反戦地主たちの闘争が続く地域である。伊江島の反戦地主のリーダーであった阿波根昌鴻(あはごん しょうこう)さんが設立した「わびあいの里」のお手伝いをしている大畑豊さん(非暴力平和隊・日本共同代表)が島を案内してくれた。
一行は、1948年に爆弾処理中に事故が起きたことを祈念する被爆慰霊碑、島の聖地であるニィヤティヤ洞、現在は使用中止になり立ち入りができる軍用施設である補助滑走路、伊江島土地を守る会の拠点である団結道場、阿波根さんが設立した平和資料館「命どぅ宝の家」、海岸に地下水が湧き出る湧出(わじー)、集団自決が起こったアハシャガマ等を巡り、伊江島の歴史・文化・経済を学んだ。
筆者が印象に残ったのは、「命どぅ宝の家」に掲げられている阿波根さんらが残した言葉の数々である。
阿波根さんによると、生産に従事する農民は、破壊を行う軍人よりも人間性としては優れており、対峙するときは「決して短気をおこしたり相手の悪口は言わない」「道理と誠意を持って幼い子どもを教え導いて行く態度で話すこと」(引用は伊江島土地を守る会の「陳情規定」より)と説かれていた。
私たち労働者にとっても、敵対する相手と対峙するとき阿波根さんの教えが参考になると思った。

団結を深めた訪問団
最終日23日、訪問団は前日の宿泊地であったアメリカン・ビレッジ周辺を出発し、西原総合公園にある月桃の歌碑、中城村久場崎の戦後引揚者上陸碑、琉球王朝の聖地であるセーファウタキを巡り帰路についた。
今回の沖縄訪問では、現在の基地問題だけでなく沖縄の歴史・文化・経済について広く見聞を広げる機会となった。 また、訪問団に参加した各団体との交流を深めることができた。戦争の危機が深まり、反基地の闘いも岐路に立つ状況だが、今回の訪問で学び取ったことを活かして、どのような運動が展開していけるのか考えていきたい。

ニィヤティヤ洞

 

ニィヤティヤ洞 伊江村ホームページ
瀬長さんから説明を受ける

  

瀬長さんから説明を受ける

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