1日目は、辺野古キャンプシュワブゲート前に行きましたが、大雨でバスから外に出られないことから、座り込みに参加していた全港湾建設支部の方から、2014年から始まった新基地建設の進捗状況を詳しく説明してくれました。
新基地の周辺に設ける高さ制限にふれ、沖縄電力の送電鉄塔や沖縄高専の校舎高さが、安全のために米軍が定める高さ制限を超えていることが判明しているのもかかわらず防衛局は例外として工事を進めています。また、以前来た時にはなかったゲートが作られ、弾薬庫に繋がる道路の工事が進められていました。
大浦湾側に行くと平和行進の時見た大浦湾の景色ではなく、埋め立て工事が進んでいるのを目の当たりにし驚きました。
琉球セメント桟橋を目的外使用
2日目は、ガイドさの大畑さんが合流し、伊江島に行きました。
伊江島に渡る前に琉球セメントの桟橋を見に行きました。現在埋め立て工事に使われている土砂は、琉球セメントの桟橋と塩川漁港から砂運搬船に積み込みを行っています。普段稼働しているのは22隻。この日は雨ということもあり、土砂運搬船が16隻が沖で碇泊していました。
この桟橋は、琉球セメントが使うという理由で県から許可が下りているのに、辺野古への土砂積出は桟橋の目的外使用であることや土砂運搬船のなかには関西から来ている船もあると説明を受けました。
自らの体験を話す
伊江島に渡ってからニィヤティヤ洞を見学。この洞は海上からは大きな岩で死角になっており、戦時中に村民の防空壕に利用され、多くの命を戦火から守ったことから「千人ガマ」と言われるようになったと聞きました。
伊江島では、激しい戦闘により島民の2人に1人が死亡し、戦後、島の6割が米軍に強制接収されました。阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)さんを中心とした伊江島の島民による非暴力の闘いで、米軍から土地を取り戻し、米軍敷地内の農地や家も、阿波根さんや島民の闘いの結果認めさせたものだと知りました。
阿波根さんの〝闘いには学習の場が必要〟との理念により建てられた団結道場や色々な所を回り、最後にわびあいの里・反戦平和資料館「ヌチドゥタカラ」に行き、始めに反戦平和資料館を見学しました。資料館には当時の薬莢や服、写真などが展示されていました。
展示している写真は、阿波根さん自らが撮影したもので、当時カメラを所有していること自体が珍しいことだと聞きました。
その後、わびあいの里に移動し、阿波根さんの秘書として一緒に活動していた方から自身の戦争体験や阿波根さんの話しを聞きました。
そのなかで「戦争は人災である。人間が起こす戦争は人間が止めなければならないし、止められる」という言葉や、「平和の武器は学習である」という言葉が強く印象に残りました。
平和記念館を見学して平和の尊さを実感
3日目はひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念館を見学しました。
館内に入ると、当時の学校生活を伝える写真や資料、ひめゆり学徒隊として活動していた環境の過酷さを、イラストや動画、証言映像やジオラマなどで紹介。少女たちを戦場に向かわせた教育の恐ろしさ、平和の尊さが訴えられていました。また、来館者の感想を見ると、当時の生徒と自分たちに共通点が多く、その一方で当時の教育や社会のあり方が、現在とではと大きく違います。そのことをもっと伝えていく必要があると思います。
3日間の現地学習を通して、二度と同じような戦争をしないためにも、歴史を学び、学習していくことが必要だとあらためて感じました。
今回の沖縄訪問団で回りきれなかった戦跡や資料館などがまだまだたくさんあります。機会があれば、また沖縄に行き多くを学びたいと思います。
阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)さん wikipedia
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