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  3日間でのべ4500人が行進
基地のない沖縄実現を目指し、復帰44年、第39回5・15平和行進が行われました。北は北海道、南は鹿児島まで、全港湾、全日建、全国一般の三単産と全造船機械の各支部の仲間が続々と集結。東コース、西コース、南コースとそれぞれが分かれ3日間で約50キロを歩くこの平和行進。自分たちは最も戦火の激しかった南部戦跡を歩く南コースを行きました。


平和行進一日目。「軍事基地撤去」「命どぅ宝」と書かれたゼッケンを着け、出発式が行われる南城市陸上競技場から行進がスタートしました。


          ◆ 沿道からチカラを貰い行進 ◆


「普天間基地を返せ!」「辺野古新基地建設反対!」「米兵の犯罪糾弾!」などのシュプレヒコールを上げながら行進。どんどん流れてくる汗をぬぐいながら反戦平和を訴えて進む行進団に、現地のご老人や保育園の子どもたちが笑顔で手を振りながら、「がんばれー」と声援を送ってくれました。 その声に力を貰い、重い足を引きずりながらゴール地点のひめゆりの塔へと辿り着きました。



二日目は午前、午後と半分に分かれひめゆりの塔、平和記念公園を視察に行きました。

最初に訪れたひめゆりの塔では、沖縄戦で亡くなった学徒、教師の鎮魂のための慰霊碑が建てられ、またそれに伴う資料館があり、ガマと呼ばれる洞窟(伊原第三外科壕)を再現したジオラマなどが設置されていました。



         ● 戦争の悲惨さについて学ぶ ● 
当時まだ15歳~19歳の女子学生が看護要員として沖縄陸軍病院に派遣され、戦火の渦中に身を置き、想像を絶する過酷な状況で生き、そして亡くなったことが記録として残されていました。

その後、平和記念公園で戦時中から戦後の沖縄の様子を知ることができる資料館を見学。中には掘り出された不発弾や、当時の衣服や写真もあり、悲惨な状況がそのまま映し出されていました。

園内には沖縄戦で亡くなった20万人余にものぼる全ての方の名前が記された〝平和の礎〟や各都道府県の慰霊碑などがありました。



そして最終日。『復帰44年5・15平和と暮らしを守る県民大会』会場となる那覇市の新都心公園に向けて各コースから最後の行進が行われました。

晴れ渡る空の下、全てを出し切るように満身の思いを込めて「基地の無い沖縄を作ろう!」「命どぅ宝!」などをシュプレヒコール。 今まで以上に多くの声援を受けながら、沖縄の地を一歩一歩踏みしめ歩きました。 

大会では辺野古新基地建設反対、米軍基地強化反対が強く訴えられ、最後は2500人を超える参加者の団結ガンバローで締めくくられました。

快晴の続いた三日間の平和行進のなかで、沖縄の実情を見聞きし、また肌で感じることができ、とても貴重な体験ができました。

       § 二度と戦争は起こしてはならない §

「命どぅ宝」命こそ最高の宝である。この言葉を胸に、多くの命が無残に奪われる戦争が二度と起こらないよう、反戦平和を訴えていきます。

連帯ユニオン議員ネット