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関生型の産業政策 
教育部では、月に一度開催する幹部教室を通じて、執行委員のレベルアップに力を入れています。今月のテーマは「関生型の産業政策」です。

業界混乱の歴史は繰り返されている

 国内初の生コン工場は、1949年に東京で操業したイワキ生コン(現在の住友大阪)だ。その後、1953年には大阪セメント佃工場(現新淀生コン)が誕生。生コン産業は高度成長期に急速に発展した。しかし、その傍らセメントの拡販政策やゼネコンの買い叩きなどにより、生コンの適正価格収受が困難に。そして、そのしわ寄せは労働者に転嫁された。

         

 
          需要減による破倒産 

セメントの販売も袋セメントからバラセメントに変わり、セメント業界の拡販政策の支配下に置かれるようになる。一方買い手はゼネコン・商社であり、生コン業界は、セメント・ゼネコンという大企業の狭間で生きる産業であり、適正な利益を収受できない産業であった。そのしわ寄せは労働者に転嫁され、低賃金・長時間労働を強いられた。

1965年に関生支部が結成され、賃金・労働条件の改善を求めて果敢に闘ったが、結成当初は解雇・企業閉鎖など苦難を強いられることに。大きな転機となったのは1970年開催の大阪万博特需の終了による需要の低迷から生コン価格が低下。多くの工場が破倒産に追い込まれたことだ。

関生支部はこのピンチをチャンスと捉え、中小企業である生コン工場をまとめ集団交渉を行い、産別賃金・産別福祉・産別雇用を確立。
また企業には、適正価格の収受、新規参入・過当競争の抑制などを達成するため協同組合化を提起。労使一体で取り組むことになる。


        ● 雇用確保 ●

73年には17社との集団交渉、75年には38社との政策懇談会を実現させた。78年、大阪兵庫工業組合を交渉当事者として「雇用保障協定」を締結。その影響は16協組263社291工場、7000人にもおよんだ。81年には工業組合と32項目協定を締結する。この大きな成果は名古屋・静岡・東京に広がるなど関生型の運動が全国化することになる。

その後、資本の反動化による関生支部への大弾圧が起こり、組合は大きな被害を受け、労使協調路線で安定化に進んでいた生コン業界は過当競争が助長され51社が倒産および経営譲渡に陥るという危機的状況に直面する。

この危機を回避するため、業界と労働組合は再び協力関係を結び、業界再建に向けて取り組むことになる。94年2月、「関西生コン産業政策協議会」を設立。同年11月には広域協組を設立し、適正価格収受を実現する。

さらに経営者会を設立し65歳定年延長、週休2日制、共同雇用保障など勝ち取っている。この成果は2005年第2次弾圧まで続くが、弾圧以降は再び生コン価格は下降の一途をたどる。

2010年6月27日、労使共同で「生コン危機突破6・27総決起集会」を開催し139日間のゼネストを行った結果、16800円の価格を勝ち取った。
生コン危機突破6・27総決起集会
 
 
       労組と距離を取る姿勢=過去に学ぶべきである
しかし、独占資本からの圧力により広域協組は再び労組対策を取ったため価格競争に陥った。 このように労使間の距離が開き過ぎると業界は乱れるということをくり返してきたが、生コン関連労使団体懇談会を定期的に行うことにより、再び業界再建に向けた動きが進んでいる。

業界再建には労使協調が不可欠である。過去の過ちを繰り返すことのないようしっかりとした絆を結び、業界再建に向け取り組もう。


参考
     生コン業界歴史的ストライキ(2010年関西)  YouTube
連帯ユニオン議員ネット