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関生支部が取り組む政治課題について、支部教育部がシリーズで解説や問題提起を行います。第9回目は「産別労組と関生型運動」です。

教育部では、月に一度開催する幹部教室を通じて執行委員のレベルアップに力を入れています。学んだ内容を各ブロックへ還元する学習会の定例化や「くさり」掲載によって、組織強化拡大の実践に活かすことが重要です。 

      世界の主流は「産業別労働組合」である

  最先端を行く関生型運動に確信を!       


【 産業別労働組合とは 】
日本に存在する労働組合の大多数は「企業別労働組合」だが、世界の主流は「産業別労働組合」である。

18世紀後半、イギリスで産業革命が起こり資本主義が勃興してくる。資本家と労働者という生産関係のもと、労働者は法律もルールもない労働環境の中で奴隷のように扱われ使い捨てられた時代があった。これが「自由主義」と呼ばれる時代である。

労働者にとっては嵐のような社会環境の中から、人として生きる権利を求めて闘う集団が形作られてきた。これが労働組合の原型である。
産業が発達してくると、組織的境界もあいまいな産業間を移動する多数の不熟練労働者が登場した。この企業の枠をこえて、産業・業種の枠にもこだわらない単一の労働組合として不熟練を中心に、広範に組織された一般組合(ゼネラルユニオン=すべての労働者の組合)が誕生した。

日本で初のストライキ(*)
女性が労務拒否を敢行

日本で資本主義が発生したのは、イギリスの産業革命から約100年あまり経過した「明治維新」後といわれる。日本初のストライキは、紡績工場で過酷な労働を強いられた女性労働者が自然発生的に労務提供拒否を敢行したことであった。彼女たちの労働実態をまとめた『女工哀史』とそれを原作にした映画『あゝ野麦峠』は、あまりにも有名である。


【関生型労働運動とは】
戦後アメリカによる占領政策に基づいて労働組合が合法化されるやいなや、燎原の火のごとく日本全国に産業別労働組合が結成された。これに危機感を抱いたアメリカは手のひらを返し、労働組合や共産主義思想を激しく弾圧・排除。しかし、生活や権利を守るため労働者は闘い続け、「60年安保闘争」「三井三池闘争」で市民運動や労働運動が盛り上がる最中の1965年10月17日、生コン支部が5分会180名で産声を上げた。   


日米支配層は、強力な労働運動の弱体化を狙い、労働組合の組織形態の主流を産業別から企業別へと解体・再編。このような中、生コン支部は産業別労働組合の形態をとり、労働者なら誰でも加入できる労働組合として成長する。これは「同一労働」という括りのなかで労働者の要求をつくりやすいとのメリットがあった。
要求を実現するためには会社と交渉しなければならないが、個社単位で交渉するのではなく、同じ産業の企業を全部集めて集団交渉を開催する方式をとった。また、交渉が決裂した場合には支部の指示を命令系統で伝達する方式で、各分会は交渉権も妥結権も持たず、大きな塊で闘う力が必要だった。なぜなら、敵の攻撃が凄まじく当時の不当労働行為は酷かったからだ。しかし、敵の攻撃によって必要に迫られ、現在の生コン支部の形態が決まったのも事実である。

生コン支部が初期に取り上げたテーマは「同一労働・同一賃金」。1973年~1974年に差別を認めず賃金形態の簡素化に取り組んだ。現在でも、生コン・セメントで働く労働者の賃金明細は誰が見てもわかるようになっている。また、1974年には集団交渉で「優先雇用協定」を締結。これは「クローズドショップ」と呼ばれる制度で、企業の専権事項である「雇用する権利」を労働組合が持つ。このことにより組織の拡大・発展に繋がった。


関生支部は、敵との力関係を絶えず分析して状況が変化するまで闘う労働組合であり、関生型労働運動とは「他人の痛みは己の痛み」の魂を実践するものである。


参考
法政大学大原社会問題研究所 ホームページ
大原社会問題研究所刊行の『日本労働年鑑』のバックナンバー

(*)日本で初のストライキ

連帯ユニオン議員ネット