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関西地区生コン支部京津ブロックの活動 紹介

飛行機から降りたとたん「蒸し暑~」の一言で始まった今回の辺野古基地反対運動、キャンプ・シュワブゲート前での座り込みに参加。

飛行機から降りたとたん「蒸し暑~」の一言で始まった今回の辺野古基地反対運動、キャンプ・シュワブゲート前での座り込みに参加。

空港から高速バスに乗り名護市の世冨慶(よふけ)バス停にて下車、夕食はホテルの近くのパスタ屋に。そこの若いカワイイ店員さんに辺野古の基地建設について聞くと、「ここまで進むと諦めている人が多いですよ」との返答であった。 あっけないコメントに唖然となる。21時に沖縄意見広告スタッフの加藤さんとロビーで簡単な打ち合わせを行い辺野古基地に三人で向かう。

少し荒れ気味でイメージと違う海を見ながら海岸沿いの駐車スペースに車を停め、キャンプ・シュワブ第1ゲート前へ。
  すでに行動は行われていて100人を越える参加者がいて、トラック、ダンプ、ミキサー車などの搬入車輌は一旦ゲート前で停車させ、埋め立て工事に係わる資材かの有無を確認し搬入を許可するといった行動を行っていた。また、1時間ごとにゲート前でデモとシュプレヒコールを唱和。

昼の集会において関西の関生から2名の参加と沖縄意見広告から1名の参加があったことを山城博治さんに紹介され、関生への期待度の大きさにびっくり。
基地内では施設建築工事と埋め立て工事が行われているらしく、当日も建設作業車も出入りをしている。その中には粗悪品としか思えないような積み荷のミキサー車が…
このことを報告すると、「すごい人材を関生は送り込んできた」と感動され、凡人の労働組合員としては今後の行動にプレッシャーを感じる。基地ではオスプレイも飛行し、基地を少し見下ろせる道路沿いで見ていると戦闘ヘリ・コブラが威嚇的に低空飛行をし上空をグルグルと周回してきた。
 
 

 

 

 

この美しい海を守りたい
 

次の日、朝にもう一人の沖縄意見広告スタッフの方が到着し、午後から、じぶん学校の輿石さんに連れられ辺野古弾薬庫の巨大地下施設のある丘を横目にやんばるの森へ。
ここは輿石さんらが美しい珊瑚の見える岸壁まで自然を壊さず遊歩道と展望台を作られたそうで、やんばるの森をぬけ展望台につくと、それは美しい光景でこんな海を埋め立てようとしているのかと思うと怒りがこみ上げてきた。
第1ゲート前に戻り抗議行動、夜になり休んでいると、21時半頃に資材搬入のトレーラーが来たと連絡がありゲート前に行くとすでに20人ぐらいが来ていた。 激しく機動隊とのぶつかりに参戦し、そのまま夜明けまでの座り込みに入ったが我々は午前3時過ぎに宿に戻る。

翌朝、ゲート前に着くと、すでに山城さんはゲート前の道路の真ん中に座り込み抗議を行っていた。これは抗議団の少なくなる夜間に抜き打ちで資材を搬入したことによる抗議で、参加者に強要のできない大衆行動の難しさを実感した。
ブルーシートの日よけの設置も2回目ともなれば上手くなった。搬入トレーラーは営業ナンバーにも係わらず会社名をテープで隠し搬入、ダンプカーも窓ガラスに黒のフィルムを貼るなどの違法車輌も搬入している。

訴えても警察は指導もなにも行わない。我々のいつもの行動が沖縄では通用しないのが現実であった。

連日、国会議員などの議員が訪れ共闘を訴えている。なぜ、これだけの沖縄の議員が動いているのになぜ止められないのか?矛盾を感じる。これがアメリカに支配されている沖縄なのか?

日曜日は第1ゲートは封鎖されていて新ゲート前での行動が始まった。
この日は辺野古沖に海上保安庁の巡視船が配備され海の方が緊迫した状態の中、10時過ぎに「カヌー隊の2隻が拿捕された、1名が拘束された」と緊急連絡があり、ゲート前での抗議が激しくなり11時頃に解放の知らせが入った。12時頃に稲嶺名護市長もゲート前に来られ挨拶が行われた。 13時頃、1名「島ぐるみ会議」に参加するということで私たちも同行する事にし宜野湾市市民会館に向かった。会場内はホールに入りきれずロビーにも溢れている状態であった。参加人数は2000人を超えていたそうである。

次号に続く

関西地区生コン支部京津ブロック 機関紙「比叡」より転載

連帯ユニオン議員ネット