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NPOMOAベトナム訪問団に参加して

NPOMOAは、ベトナム訪問団を組織し12年12月20~25日まで、大野代表理事を団長に11名がハノイ、ラオス(ビェンチャン)、ホーチミンを訪問しました。

20日に関西空港を出発、現地時間14時過ぎに首都ハノイに到着。空港には浅田副代表が出迎えに来られ久しぶりに再会しました。
マイクロバスに乗り市内の大学へ移動、ベトナム枯れ葉剤被害者協会の総会に出席して被害者協会に寄付金を手渡しました。訪問団を代表して大野団長が連帯の挨拶行い、「私たちは、大阪でベトナムを始めアジアとの平和友好の取り組みを行っている団体で、戦争は二度と繰り返してはならないと決意し、今後も枯れ葉剤被害者支援に取り組む」ことを報告しました。

その後、浅田副代表が講師をしている日本語学校を訪問、学生と交流を行いました。男女21人が日本語を学んでおり私たちと覚え立ての言葉を使ってジェスチャーを交えて歓談。夕食は、学生たちと素朴なベトナム料理を堪能しました。

21日、ハノイを9時40分に発ち、ラオス・ビエンチャン空港に10時45分到着。
早速、市内見学へ。ラオスは、人口620万人で首都ビエンチャンに62万人が住み、5カ国の(中国、ミャンマー、ベトナム、タイ、カンボジア)国境に接しています。ベトナム戦争当時は、ベトナム国境に米軍が爆弾を落としたため、今も不発弾により命を失う人がいると報告されました。ラオスは、大乗仏教の国で社会主義国です。国立博物館では、恐竜の骨も展示されていて原始の時代を遡れば人類のルーツがこのラオスにも生存してことが分ります。

国土は、北部は山岳地帯、南は肥沃な農耕地と住んでいる場所によって生活習慣も違います。 戦前は、フランスに植民地支配され1893年に仏領インドシナ連邦に編入され、1953年にフランスから独立、1975年のベトナム戦争終了後、王制を廃止して「ラオス人民民主共和国」を樹立しました。展示内容も独立運動やベトナム戦争などが中心となっています。 

見学後、レストランで昼食を済ませ郊外にある仏像モニュメントを訪問、お釈迦様の寝姿像(約8m)にびっくりみんなで記念写真を撮りました。市内に戻る途中でメコン川に架かるタイ・ラオス友好橋(オーストラリアのODAで建設)を歩いて橋の真ん中にある国境まで行きました。

22日は、人民歴史博物館、黄金に輝く「タートルアン」、「ワットシーマン寺院」など市内にある名所を見学、最後にショッピングセンターを訪問しました。ここでは、金の宝飾品が人気でした。

23日は、ビエンチャン空港からホーチミン市に空路で移動。タンソニャット空港から一旦ホテルに寄り荷物を置いて市内見学に。教会や郵便局、ベンタン市場などを散策しました。 いつ来てもにぎやかな市場です。

24日は、ツーズ病院を訪問、枯れ葉剤被害にあった子供たちが暮らす「平和村」でタン院長はじめ訪問したときにお会いするメンバーと再会しました。ドクくん夫妻と3才になった子どもたちとも再会しました。明るく元気に育っています。

訪問団は、「平和村」に入院している子どもたちに日本からのお土産を渡し、ホルマリンに保存してある二重胎児などを見学して、ベトナム戦争が終わって38年を経ても「枯れ葉剤被害」がベトナム人民を苦しめていることに憤りを感じました。昼食はタン院長さんたちと一緒に病院内で食べました。最後に、訪問団から寄付金を贈呈しました。
夜は、タン院長らを招待し夕食会を行い、2013年10月に分離手術25周年の式典を開催するので招待すると報告がありました。NPOMOA0として10月に訪問団を派遣することを約束しました。

タンソニャット空港を午前0時過ぎに出発、関西空港に午前7時に無事帰国しました。


NPOMOAベトナム訪問団 写真集

連帯ユニオン議員ネット