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国連「世界孤児の日」制定推進大会に参加
 
国連「世界孤児の日」制定推進大会に参加

10月30日から11月1日、国連「世界孤児の日」制定推進大会参加を目的に、関生支部の代表が韓国・木浦(もっぽ)市を訪問した。

10月30日午前、韓国・仁川空港に降り立ち、長距離バスに乗り換え、午後5時過ぎに木浦市に到着。すぐにシナンビーチホテルで開かれた木浦市長主催の歓迎晩餐会に出席した。この晩餐会は、大会参加者を歓迎するとともに、日本人でありながら「韓国孤児の母」と慕われた田内千鶴子さんの生誕100周年を記念するもの。日本からも多数が参加し、国会議員や高知県知事、堺市議なども駆けつけた。

木浦共生園の場所


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翌日は、朝から木浦市内を観光。木浦共生園などに立ち寄った。園には子どもたちが暮らす宿舎だけでなく、食堂や事務所、図書館、教会なども整備され、大学生から就学前の子どもたち合わせて数十人が生活を共にしていた。出迎えてくれた子どもたちの笑顔が印象的だった。


「世界孤児の日」千人が制定訴え
そして、木浦市民文化体育センターで行われた「世界孤児の日」制定推進大会に参加。この大会は、遺孤児の少ない社会実現や、日韓両国の心の交流などを目指し活動していた田内千鶴子さんの志を受け継ぎ、「孤児の日」の制定を世界に訴えるために開催されている。日本からは私たちを含め約500名が参加し、総勢千人以上の福祉関係者らが結集。大会では、「世界孤児の日」制定請願決議文が宣言され、田内千鶴子さんを称える追悼の辞が紹介された。

今回の訪韓では、人と人との絆の大切さや、子どもたちを社会全体で支えることの意義をあらためて感じた。また、戦争による混乱や差別などにあいながらも数千人にものぼる孤児を育て上げた田内千鶴子さんの愛情が、日韓両国だけでなく世界中で語りつがれるであろうと確信した。
 

田内千鶴子と共生園

1928年、韓国が民族受難の時代にあった日本植民地時代。キリスト教伝道師尹致浩(ユン・チホ)が木浦で、7人の孤児と共に生活を始めた。貧しい生活の中、共生する孤児が増えていく中、朝鮮総督府の官吏の娘として木浦にいた日本人、田内千鶴子が尹致浩の活動に共鳴し、共生園での奉仕をスタート。やがて2人は夫婦になり、大勢の孤児らの父と母になった。だがその後、子どもたちの食料を調達に行った尹致浩が行方不明に。遺された千鶴子は夫の遺志を継ぎ、韓国に留まり56歳で生涯を閉じるまで3千人もの孤児らを育てあげた。

千鶴子の思いは長男の尹基(ユン・キ、現こころの家族理事長)に引き継がれ、韓国では共生福祉財団として発展。
日本では、尹基が理事長となって在日韓国老人ホームを作る会、そして社会福祉法人「こころの家族」が活動、祖国を離れたお年寄りにふるさとのぬくもりをを感じせる老人ホームを建設するという、画期的な試みを続けている。
田内千鶴子の生涯は映画「愛の黙示録」(1995年)で広く知られることになった。

(HP「社会福祉法人こころの家族」より)

 


ウィキペディア 田内千鶴子
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