連帯ユニオン 近畿地方本部 関西地区生コン支部 近畿地区トラック支部 近畿セメント支部 労働相談-ホットライン
YouTube
 文字の大きさ
  現在:
    文字小←  →文字大
  文字サイズ
   

憲法理念の実現をめざす第48回護憲大会 

レポート/憲法理念の実現をめざす第48回護憲大会に参加して

1.11月4日~6日まで第48回護憲大会が山形市で開催されました。今回の大会メインテーマは、『震災から考える、「人間の安全保障」で「生命の尊厳」を』でした。

全体集会は山形ビックウイング多目的集会展示場で行われ、2,500人余りの参加者で熱気が溢れていました。
本年は08年のリーマンショック後の世界的不況と「格差と貧困」の拡がりに加えて、3月11日に発生した東日本大震災で東北地方から千葉県までの太平洋海岸に大津波が押し寄せ、壊滅的な自然災害と東京電力福島第1原子力発電所事故による深刻な放射線物質被害が福島県を中心に関東地方まで及びました。
その中で、懸命に復興へ取り組んでいる福島・宮城に近い山形市で護憲大会が取り組まれました。

 
.大会では最初に、東日本大震災で犠牲者となられた方々を追悼する黙祷を行い、江橋崇・実行委員長が主催者あいさつを行いました。
江橋代表は、「東日本大震災で私たち平和フォーラムが、これから何をすべきか考えさせられた。これから憲法理念を活かして平和運動に取り組まなければならない」と参加者に訴えました。
その後、地元実行委員長からは、「山形まで足を運んでいただいた御礼を述べさせてもらいたい。本大会の3日間が充実したものになるよう実行委員会は取り組んでいる。また、山形県内では13,000人が避難されており、そのほとんどが福島県から来られている。これは憲法25条の生存権が原発事故で脅かされているということだ。いまこそ憲法の平和理念が重要になっている」と報告されました。
 
続いて来賓の連合、社民党、山形県知事、山形市長の各代表があいさつされました。このあと、藤本実行委員会事務局長が基調提案を行いました。
藤本事務局長は、「本年はメインテーマにあるように、『人間の安全保障』と『生命の尊厳』の2つを憲法理念のもとで具体的に取り組みたい。その一つとして原子力に頼るエネルギー政策の転換を求めていくこと。大震災により生活基盤を失い、雇用を失い、放射能汚染で故郷を失うという現実があり、憲法での『生存権』をどう確立させていくのかが求められている。また、日本政府による日米安保体制と米軍の駐留政策で沖縄に75%の米軍基地が集中し、これまで米兵が引き起こした少女暴行事件や沖縄国際大学のヘリ墜落事故など、県民生活が脅かされている。普天間基地の県外移設は沖縄県民の願いだ。『生命の尊厳』を重視した政策の実現を目指そう」と提起しました。
 
全体集会終了後、同じ会場でシンポジウムが開催され、コーディネーターに江橋代表、パネラーに福島から橋本さん(生協あいコープふくしま理事)、宮城から高橋さん(高橋徳治商店社長)、沖縄から玉城さん(沖縄県議会副議長)が登壇されました。
 
 福島の橋本さんは、
「福島第一原発から70キロも離れているのに、ここまで原発に苦しめられるとは想像していなかった。福島市以外でも放射線の値が高くなっている。私には子どもが3人いるが、各種スポーツ大会や野球教室が相次いで中止になり、2才の子は外で遊ぶことも出来ない。
10月になって運動会が開かれたが、中でばかり遊んでいたので転ぶ子どもが多かったそう。外で遊べなかった分、足腰が弱ってきた結果だと思う。
ほとんどの県民は、持ち家があり、ローンが残り、代々相続している土地・田畑があるので、離れたくても離れられない。私も農家に嫁いでいるので土壌汚染に悩まされている。そんな中で石丸さんに出会い、放射能汚染対策を聞いたとき、目からウロコが落ちた気分になりました。昨年6月にも福島第一原発で電源喪失事故があったのに、そのまま発電していた。今回の事故は、東電のコストカットで社員や協力会社に厳しい労働環境を強いていたことも要因ではないのか」と問題提起されました。
 
 宮城の高橋さんは、
「私は、水産加工会社を営んでいる。この間の支援に県加工会社200社を代表して御礼を申し上げたい。3月11日の大震災後に冷凍・冷蔵庫が津波でやられ電源を喪失。そのため魚介類38,000屯を沖合まで運び13メートルの水深に埋めました。水産加工品131,000屯は、埋設処分を行いました。社内では1人の社員が行方不明で、全県的には5,000人が死亡・行方不明となっています。マスコミは復興、復興と書き立てていますが、港湾埠頭の殆どが陥没し、空いている広場にはガレキが620万トンも積まれている。これを県内で処理するには100年以上掛かってしまうと言われている。
 
また、沿岸部にあった下水処理場が津波で故障したままなので、今は汚水に塩素を少し混ぜてから川に流している。この塩素を混ぜる対応では下水処理が不完全なので川の汚染が心配だ。特に海産物に与える影響が心配だが、もし事業を再開する時には消費者に安全・安心な魚介類を使った加工食品を作り提供していきたい」と報告されました。
 
 沖縄の玉城さんは、
普天間基地を巡る状況について、「95年の米兵による少女暴行事件で県をあげての抗議集会が開かれ、これをキッカケに普天間基地を他へ移すことが日米政府で合意されました。自民党の橋本首相(当時)が電話で太田知事(当時)に普天間基地を県内移設することになると連絡があり、知事は「それには同意できない」と回答したと聞いています。その後、名護市辺野古に新基地建設の計画が持ち上がり、反対運動が地域をあげて起こっています。今では、県知事、県議会、各市議会がこぞって県内移設に反対しています。全国県知事会議で沖縄県知事が普天間基地移設の受け入れ要請をしましたが、誰も返事をしなかったようです。私たちは求めることは普天間基地の辺野古移設ではなく、日本政府がしっかりアメリカ政府を説得して、県内移設を断念させることです」と報告されました。

次に江橋代表から、これからの取り組みついて3人から報告を求めました。

 福島の橋本さんは、
「福島県産のすべてのものが食べられないのではありません。放射能の汚染にさらされていない農作物もあるので、生協としてはちゃんとした検査数値を示して野菜を消費者に提供しています。また、放射線量が0.8も0.9もある場所で子供たちを遊ばせることは出来ません。この間、南会津の生協グループが子供たちと家族を招待して、思い切り遊べる場所を提供してましたので楽しんできました。近隣の生協からも色んな支援をいただいていることに感謝しています」
 
 宮城の高橋さんは、
「9週間近く避難所で暮らしていた間、最初150人くらい居た避難者が50人まで減りました。そんな中でみんなで協力しあって生活をしてきました。いま、私たちは明日の生活より今日の食べ物という目先のことに囚われています。会社を再開する時は、一つの食品を作るのに原料はどこからどのようにして入ってきたのか?そして自分たちはどのように消費者に商品を届けるのか?をしっかり考えていきます」
 
 沖縄の玉城さんは、
「東北大震災の大変な被災状況を沖縄に持ち帰り報告します。これからも原発と日米安保は同じ位置にあることを確認して沖縄での闘いに取り組んでいきます」と、発言がありました。

 


3.フィールドワーク『日本国憲法から見た東日本大震災~宮城』に参加して

震災後    石巻の中瀬を望む    震災以前


11月5日はフィールドワークに参加。8時30分に山形市の大手門パズル前から大型バスで出発。一路宮城県石巻市へ向かいました。高速道路を一時間半かけて仙台市に到着。津波が押し寄せた仙台市沿岸から塩釜、東松島を車窓から視察しました。津波で壊れた住宅や打上げられた漂流物などは片付けられており、殆どが更地になっていました。
  

石巻市では、港湾施設を見学。港湾合同庁舎周辺の倉庫は津波で壁が破られたままでした。鉄骨の屋根だけが残っているのを見たとき、ここを襲った津波の大きさに驚くばかりでした。
また道路を挟んで住宅街が拡がっていたようですが、遠くから見ればちゃんと建っているように見える民家も、津波が押し寄せたため一階部分が完全に流され、建物によっては壁が無くなっていました。
石巻漁港は、埠頭の地盤が70㎝以上も下がり、満潮時には海面の下に沈むため嵩上げ工事を行っていました。潰れた冷蔵・冷凍倉庫の替わりに現在は仮設倉庫が設置され、水揚げした魚介類を保管出来るようになっています。
加工工場のほとんどが被災し、津波で海のヘドロが流れ込んだため夏場は臭いがひどかったそうです。この加工工場を再建したくてもまだまだ環境が整っていないのと、「また津波が来るかもしれない」との考えから、「内陸部に移動して再建したい」と考えている業者もいます。


その後、昼食を挟んで報告集会参加のために石巻労働会館へ移動。宮城県平和センター清藤理事長から東日本大震災の報告があり、第1に震災の被害内容と規模、そして復旧について。第2に再生と憲法理念ついて。第3に復旧・再生のための立法措置と行政の役割について、を話されました。

清藤理事長「3月11日当日は電気も水道もガスも寸断され全ての都市機能を失いました。最初は情報も入らず、時間が経つにつれ被害の大きさが判ってきました。巨大地震M9、巨大津波・南北600キロ、東西200キロ、高さ10~39メートル、地盤沈下で東へ向かって陸地が移動、死者が県内で9500人余り・・・。宮城県内には石巻市から北に10数キロで東北電力女川原子力発電所がありますので、こちらからの影響も心配されました。
今回の地震と津波で240人の子どもたちが両親を亡くし、1,000人の子供たちがどちらかの親を亡くしています。これへの対応もきっちりしなければなりません。
仙石線は、未だに復旧の見込みが立っていません。常磐線、石巻線も寸断されたままです。石巻市の飲食店と商店街の復旧もまだまだです。この状態から復興するには、憲法理念を生かした取り組みが必要です」と締めくくりました。

行政の立場から発言された石巻市議会議員の千葉さんは、
「震災当日の午前中は中学校の卒業式に出て、午後は市役所6階に居ました。地震で4分間くらい揺れ、机のパソコンも飛び、市議会議場の天井も落ちてきました。全ての機能を喪失し情報も断たれて現状がどうなっているのかも解りませんでした。
津波が去った後、行政としての機能も中断して住民票や印鑑証明書なども停止しました。
その中で、亡くなられた市民の安置所、救援物資を受け取るヘリポート、避難場所、食糧などの確保をどうするのか?救援体制の確立と行動計画の実施について最初にどこが対応するのか?ちゃんと決めることが大事だと実感しました。
また、ガレキ処理も大きな課題で、市で処分するにはとてつもない時間が掛かるので他府県の協力が必要です。このようにまだまだ課題が山積しています。
市役所の職員は、地元の対応は出来ますが、地震に関する対策までは困難があります。今後の対策として、外部の支援や協力が不可欠です」と報告されました。

労働者の立場から発言された自治労石巻市職員組合・畑山委員長は、
「震災直後から市職員が20時間勤務で救援活動に取り組んで11月までは日曜日も交替で出勤していました。窓口での対応も大変でした。住民の苦情も多く寄せられるため精神的にも厳しい環境にありました。
自治労を中心に全国から人員が集まり、延べ5,000人を超える支援を受けました。心から感謝しています」と述べられました。

東北電力女川原子力発電所の震災時から現在までの状況を、石巻護憲センターの木村さんから報告を受けました。
木村さん「女川原発では震災時に何とか1系統の電源だけが助かったので冷却機能の喪失は逃れたが、全てを失っていたら福島第一原発と同じようになっていたと思います。女川原発は石巻市から20キロの所にあり、30キロとなると石巻市全域が入ってしまいます。
それだけ、今回のような事故が起これば全市民避難ということになるので、私たちはこんな危険な原発は要りません。全ての原発は廃止することです。
また、オフサイトセンターも今回の地震と津波で機能を喪失しています。これで津波を想定して設置されていないことが判明しました。地震への即応性が無いのでは意味がありません。今後は、海に流れた放射能汚染水などによる魚介類への影響が心配です。今こそ脱原発実現に向け全国で取り組みましょう」と訴えました。

報告集会終了後、一路山形市へバスを走らせ17時30分に大手門パズル前に到着しフィールドワークは終了しました。

 

4.閉会総会
11月6日に閉会集会を山形市民会館大ホールで開催。1,000人の参加者が集まりました。
岩手県釜石市議会議員の菅原さんから「大震災・岩手からの訴え」を、福島県平和フォーラム竹中さんから「大震災・福島原発事故被災地からの訴え」を、山口県平和運動フォーラム岡本さんから「上関原発建設阻止のとりくみ」について、原水禁副事務局長藤岡さんから「さよなら原発1000万人アクション」の取り組みについて提起されました。

「大会まとめ」を藤本事務局長が報告し、「脱原発が社会を変えることを確信し、運動をすすめていこう。子供たちの将来のために脱原発をすすめよう」と訴えました。
来年は、山口県で開催することを確認し、第48回護憲大会が終了しました。 

報告者・垣沼

 

連帯ユニオン議員ネット