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◆ 日朝友好なにわの翼訪朝団で訪朝しました

なんて空気のおいしいところなんだろう。澄みきった青空が一層そうさせたのかもしれない。
初めての訪朝に不安がなかった訳ではないが自分でもビックリするぐらい落ち着いていた。入国に少し他のメンバーよりも手間取ってしまったが、四つ星の付いた制服をまとい、かなり男前でエクボのある笑顔が素敵だったので私的には訪朝第一歩から大満足。
まだ誰にも言ってないが帰りの出国時にもその男前がチェックしてくれたのだ。運命を感じずにはいられません。
 

この時期は田植えの時期らしくホテルに到着するまでにたくさんの市民の田植えを眺める事ができた。共和国ではすべての国民が協力して米を作り、配給して貰うのだ。“働かざる者食うべからず”と言ったところでしょうか・・・


ホテルに着くとピョンヤンで初めてとなる夕食が待っていました。
 

日程の打ち合わせもそこそこに私のリクエストで、焼肉となりました。なんと美味しいんでしょう、このアヒル達。もう、牛肉なんて食べれません。共和国での焼肉は断然アヒルで決まりです。
 
夕食後は、酒豪のメンバーとホテルの展望台に上がり団体専属?のアコーデオン奏者と歌い、飲み心を通い合わせました。


二日目は、万景台で金日成主席の生家を拝見しました。万景台の高台に上がると壮大なパノラマが広がっていました。そこで子どもたちに遭遇し一緒に記念撮影をしました。子どもたちの親は、軍人とのことでした。子どもたちはとてもシャイで純粋そのものでした。たぶん私にもこんな時があったのだろう。帰り際に鉄道の労働党の方とも記念写真を撮ることもできました。

次の訪問先のチュチェ思想塔は、上部が展望台になっていて対岸に金日成広場が見えなんとも絶景です。写真 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
共和国に来たからには目的を果たすため真剣に観光をやる気構えでしたが、なんせ酒豪の集まりなので食事時には「メチュ チュセヨ」
私が最初に覚えた共和国語です。午後からは大同江果樹総合農場にお邪魔にあがり、これまた壮大な果樹園に圧倒されました。共和国はどれひとつとってもスケールがデカいです。
祖国解放戦争勝利記念塔もモニュメントが敦賀のショッピングセンター級の大きさです。ですから、いつも私は「すげぇ!すげぇ!」の連発なのであります。
そして、夕食は「メチュ チュセヨ」から始まります。なんだか訪朝団の暗号のような はたまた呪文のような使われようです。
 
三日目は、私が一番興味のあった板門店です。
北と南の境はどうなってるんだろう。
いくつもの検問所に軍人が険しい顔をして守りに着いています。奥へ進むにつれ緊張が高まります。

 
38度線に着くと軍人が境界ギリギリに立ち任務についていました。
7つの部屋が横に並び、この中の真ん中の1つが北と南を自由に行き来できる唯一の部屋です。もちろん部屋の中だけのことです。その部屋で中国人観光客の団長とこちらの酒豪団体の団長と握手を交わす場面もあり、緊張感の中でこんな和んでKYやったな。と、今は思います。

板門店を後にするとお昼は民族旅館で「メチュ チュセヨ」。郷土料理は華やかで品数も多く満足すぎるくらい贅沢な食事でした。
開城民族旅館 地図
 
 
開城民族旅館 風景

ここで少しばかりお土産を買って高麗博物館へ・・・昔は学校として使われていたらしい博物館で数々の骨董品を見学しました。
 
夕食はホテルの近所で日本食が食べれるということでピョンヤン駅前食堂に行きました。
●「メチュ チュセヨ」、お好み焼き、冷やしうどん、たいやき、出し巻きなど久し振りの日本食に、しかも関西食豊かなテーブルにテンションMAX。対角線に居た共和国の方にゼスチャーで叱られ反省しつつ店を後にしました。これもいい思い出です。
 
ちなみに、共和国の人は外食時に大声で話したり笑ったりはしないそうです。共和国の品の良さを思い知らされました。と同時に私たち訪問団の下品さを思い知らされた夜でした。

四日目には滞在初めてとなる雨が降り晴天続きだったピョンヤンには恵みの雨です。が、期待するほどの雨は降らなかったので残念です。
人民大学習堂は大きな多目的図書館です。コンピュ―ターで書物を管理しており、お目当ての物がすぐ見つかります。労働者であっても資格を取得するなら会社の了解を得て半年間休職し給料保障を得ながら取ることができます。なんせ教育に関して一切惜しまない国であります。日本も見習って欲しいものです。

原爆被爆者の方たちと面談するため、一旦ホテルに戻りました。
日本の長崎出身の方と広島出身の方です。日本で被爆し共和国人というだけで、保障が受けられないと言うのです。なんと残酷なことでしょう。日本人でも被爆者と認定されないでいる人もいるとは思いますが人種差別でそんなことが起こってもいいのでしょうか。
彼女たちは日本を後にし、共和国で被爆治療を受けるほかないのです。長崎の方は娘も被爆し先月母親よりも先に旅立たれたそうです。なぜ私より先に娘が死ななくてはいけないのか!私も死にたい!カラダが痛くて辛いんです!と、嘆いておられました。さすがに酒豪団達もほとんどが子を持つ親ですから鬼の目にも涙でした。原爆は被災した人はもちろん、そうでない人まで不幸な思いをさせてしまう凶器なんです! だから、原発はいりません!
 
そんな話の後の昼食だからなのか私としたことがと食事が喉を通らず野菜スープのみという前代未聞の結末になりました。
午後からはピョンヤン産院に訪れました。女性のあらゆる病気に対応してくれ、とても心強い安心のできる病院でした。ここでは三つ子、4つ子の専門の乳児病棟があり、三つ子が生まれると女の子には金の指輪を男の子には刀がプレゼントされるのです。
 
つづいて、ルンラ小学校に向かいました。子どもたちは踊りと歌で元気に迎えてくれました。テレビで何度か見た光景です。ほんとにこんな奇麗に踊って歌ってみせるんだ。と、感動しました。

どこの子供も笑顔が可愛くて目がキラキラしてるんだね。幸せな気持ちになります。
 
学校を後にすると「メチュ チュセヨ」の時間です。一度ホテルに帰り、呼吸を整えてから高級レストランにワンダフルな食事を取りに行きました。愛犬家の私から言うのも何なんですが・・・とてもワンダフルでございました。(汗) お腹もワンダフルに満たされパワーもついたところで若者が集う遊園地に・・・とても若くない酒豪団ですからせっかくの恐怖マシーンも選ばれし3人だけが命がけで楽しんだのでありました。

早いもので共和国訪問も最終観光となりました。 大同江タイル工場見学では、目を見張る繊細なタイルの数々に欲しい欲しい病が発症しそうでした。


後ろ髪を引かれながらピョンヤンの地下100メートルにあります地下鉄の見学をしました。

大きなガラスの壁画も圧巻でしたし
ホームのシャンデリアはお姫様の一室のような豪華さでありました。

 

 
午後から正装に着替え共和国劇映画撮影所に出向きオープンセットに日本の町が作られているのに興味が湧いてしまいました。

 

 
 
本日の正装の目的とも言える対文協表敬訪問。
訪朝からかずっと私たちと行動を共にしてくれた李 成虎(リ・ソンホ)さんと金 春実(キム・チュンシル)さんの副局長にご挨拶にお伺いしました。緊張の中、訪朝での感想などを報告し労いの言葉を頂きました。ずっと笑顔を絶やさずやさしい母というイメージです。

それからも、ずっと正装で移動し最後の晩餐へと向かいます。
泣いても笑っても最後です。私たちにはもう時間がありません。
最後の晩餐は対文協の局長を招いて美人ウエートレスの生バンドがあるレストランで宴となりました。局長の有難いお話から団員の想い出綴り。メチュ チュセヨからカラオケまで最後の晩餐にふさわしい夜となりました。本当に楽しく貴重な思い出となりました。また少なくとも女である私に団員のみなさんは気を使わせたことと思います。心から感謝します。ありがとうございました。
そして、貴重な体験を与えてくれ出発前には送別会まで開いてくれた地本のみなさんにも感謝します。ありがとうございました。

今回の体験はいかに誤った情報に、流されたものの考え方をしていたかということに気づかされました。私が見たことがすべてとは言えませんが、まっすぐに捉えて見たもの、触れて感じたものは真実です。それはその場に行って触れたものにしかわからないし、感じ取れないもだと思う。もう既にたくさんの人に訪朝のことは話したけど伝えきれないことは否めない。
早くみんなが訪朝できるよう、触れて感じれるよう、早期国交正常化、共和国の祖国統一を願わずにはいられません。

2011年6月  全日本建設運輸連帯労働組合近畿地方本部 
執行委員  T 

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