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民主労総全羅北道本部定期訪問

11月4~10日 
     2008年度民主労総全羅北道本部定期訪問団に参加して

 

●2008年度訪問団は、08年11月4日~10日までの7日間、韓国ソウル市、益山市(いくさんし)を訪問した。訪問団は団長の垣沼(全日建近畿地本)以下7人編成で構成。
民主労総全羅北道本部(以下、全北本部という)とは、全港湾建設支部の★中村さんが19年間交流を重ねており、★中村さんは全北本部の名誉指導員として全北本部の活動に関わっている。 その関係で毎年、全北本部から訪日団を全港湾、全日建などで受入れ、11月には民主労総全国労働者大会の日程に合わせて訪問団を派遣している。
 

●11月4日
私たち訪問団は、午前8時に関西空港に集合し、9時40分発のKAL便で仁川空港に向け出発。11時40分過ぎに仁川空港着。高速バスでソウル市東大門に移動、サムホホテルに到着。チェックインをすませて、地下鉄で移動して西大門刑務所歴史館(ソデモンケイムショ)を見学。戦前の日本植民地時代に侵略と弾圧に抵抗して投獄された烈士たちの志を偲び、民族独立の闘争の歴史を学ぶ場として刑務所の建物一部を残し歴史館として市民に開放されている。当時の臨時拘禁室や拷問室や死刑場などでは、人形を使ってリアルに拷問などの状態を表現している。私たちが、植民地時代に日本政府が行った蛮行に目を背けず、しっかりと記憶に刻むことが大切だと感じた。

夕方には、東大門に戻り清渓川(チョンゲチョン)を散策し、全泰壱(チョン・テイル)通りに埋められたプレートの確認と橋の真ん中にあるチョン・テイル像前で記念写真を撮り、チョン・テイル事業記念館を表敬訪問し、オモニのイ・ソソンさんと面会した。ソウル衣料労働組合と懇談して、今回の訪問団記念ベストを注文。夕食は、鶏一匹鍋(タッカンマリ)を美味しく頂いた。


●11月5日
朝食後、日本大使館前で毎週水曜日に開かれる「挺対協」の水曜集会に参加。訪問団を代表して管理職ユニオン・関西から連帯の挨拶を行った。
その後、仁寺洞(インサドン)で昼食をとり、午後のKTX(新幹線)でソウルから益山市(イクサンシ)まで移動。到着後、全州(チョンジ)まで全北本部の車で移動、イクサン労働学校が入居しているビルの1Fレストランで交流会。2次会は近くの海鮮屋台で生だこの入った海鮮鍋を食べた。泊まりは、労働学校の教室で寝袋を使って雑魚寝。


●11月6日
7時に近くにある銭湯へ行き朝風呂に入って、定食屋で朝食。午前中は、イクサン市内の公園で菊祭りが開かれているのでこれを見学。ここでイクサン市長とも懇談する。
車で工業団地内にある争議現場を表敬訪問。最初にテジョン紡績で25人の組合員が3日前に解雇された籠城テント前で集会を開催、現場からは一旦争議が解決して職場復帰したところ、3日前に再度偽装閉鎖し全員を解雇、今は事業再開するときは真っ先に組合員を優先雇用するよう要求していると報告。訪問団からカンパとお土産を渡し激励した。次ぎに、ハンソル社(サムソングループ)を訪問。テントの中で闘争内容を聞いた。ハンソル社は、サムソンの孫娘が経営、グローバル化の中で労働組合の無力化をねらって労働争議となった。今日まで260日間闘っている。組合員86名中36人が解雇されている。
労働員会に解雇無効を申し立て、現在は命令待ち。労組が出来た発端は、会社を一方的に売却しようとしたことが発端。いまのところ景気が悪いので売却が出来ていない。


次ぎにマンド機械工業を訪問。マンド社は98年に韓国が金融危機に陥ったときに9工場を分離売却し3工場が残った。このときに大争議となり、この工場でも籠城闘争をしていた組合員を工場から排除しょうとして戦闘警察が工場の門をショベルカーで壊し、籠城する組合員を弾圧した。マンド社は、一旦売却されて別の経営者が事業を行っていたが、創業者の息子が買い戻し会長にカムバックした。このときに会長は、「透明な経営を行う」と組合に約束して就任したが、最近3工場の組合活動の動向を評価する文書が組合が手に入れ、労組に介入するようなメールが流れていた。
内容は、役員選出について、前任の役員は強行派、新任の役員は穏健派だから、これを推薦するようにと会社が後押しをしていたことだった。直ちに、会社に抗議して役員を中心に行動を展開しているとのことであった。



闘争現場訪問を終わり、全北本部へ移動し、事務所近くで昼食をとる。
昼食後、全北本部役員と同じビル内ある加盟労組との懇談を行った。本部委員長から、新自由主義では韓国も日本も一緒だ、これを克服する闘いを連帯して取り組んでいきたい。来年は全北での日韓労組交流も20年を迎えるので、日韓労働者の交流課題を再定義して取り組みを検討したい。日本側も考えてほしいと提起された。
そのあと、階下にある全国保健医療労組、全国農協労組、全国公共サービス労組と、近くのビルにある全国建設労組の全北本部事務所を表敬訪問し懇談した。
車で移動して全国教職員労組・全北本部を表敬訪問。支部長以下3役と懇談して労働組合の歴史を聞いた。全教組は、1989年に結成され10年間闘って合法化を勝ち取る。16地域に支部があり8万人を全国で組織している。全体では24万人の教職員が働いているそうである。夕食は、全州のレストランで交流会して韓国キリスト教協会に移動して宿泊した。
ここの牧師は、ソウルで行われたBSE問題で米国産牛肉輸入全面解禁に反対するロウソク集会を扇動した罪で警察に拘留中であった。


●11月7日
午後7時起床8時に朝食。午前中は、慶基殿(キョンギジョン)と古民家が並ぶ伝統文化地区を見学。昼食後、扶安郡にある辺山まで車で移動、ここでは諫早湾の数倍に及ぶ干潟を埋めて農耕地を干拓している(42ヘクタール)。
2006年4月22日に堤防が完成後、海水が内海に入らなくなった。
堤防だけで33㎞ある。埋める土砂は、近くの3カ所の山を削って作った。
この干潟埋め立てに反対する闘いは、全国の環境団体はこぞって参加し、牧師、僧侶も参加した。この埋め立て計画は、1988年にノ・テウ大統領が計画した、現在は内海の15%しか完成していない。この堤防が出来てから外海の生態系が破壊され、のり養殖にも大きな被害が出ている。内海は汚染されつつある。

その後、廃校となった小学校跡を訪問。この地域に核廃棄物処理施設を建設しようとした時に地域をあげた反対闘争の記録を写真で掲示していた。 戦闘警察が反対集会でマイクを握っている人に盾を振りおろしている衝撃的なシーンや盾の角で大けがをして、額から血を流す人たちの姿が映し出されていた。
最終的には、扶安郡の全住民投票を行った結果90%以上の反対で建設計画は中断された。
夕方に、全州に戻り、最後の交流会を開催。終了後、2班に分かれて民泊先に向かった。 ここで久しぶりにシャワーを浴びてパジャマに着替えてくつろぎ、ぐっすりと寝た。


●11月 8日  
午前7時に起床後、近くの小山まで約1時間散策、帰ってから朝食をとりイクサン駅まで行き、10時40分発のKTXでソウルまで移動。
龍山(ヨンサン)駅で下車し、近くのレストランでカムジャタン(骨付き豚肉とジャガイモ鍋)を昼食で食べた。その後、タクシーでホテルまで移動。
その後、地下鉄で南大門に移動。南大門市場とロッテデパートでお土産を買い地下鉄でホテルに戻り、着替えてソウル駅まで開催された全国労働者大会前夜祭に参加した。20時頃まで居て地下鉄で東大門まで移動し、夕食をとった


●11月 9日 
午前は、景福宮(キョンボックン)を見学。
ソウル大学近くまで移動して昼食。その後、大学路で開かれた全国労働者大会に参加。
今回は、民主労委員長が指名手配中のため、別の場所からメッセージを放映して参加した組合員に檄を飛ばした。
終了後、東大門近くのレストランでご苦労さん会を開催し、1週間通訳として同行していただいた鈴木さんに感謝をして終了した。 
その後、ホテルに戻り部屋で訪問団の反省会を開催した。
オ・ヒテク氏が部屋を表敬訪問。


●11月10日
今日は、水原市(スウォン)までワゴンタクシー2台で移動、途中で韓国民俗村エバーランドを訪問。園内には、韓国の古民家が地方毎に集約して建築されており民衆の暮らしぶりが分かるように展示してあった。
お昼は、市内の骨つぎカルビレストランで最後の晩餐を行う。
水原華城(スウォンフアソン)を見学。ここは、李氏王朝時代の1794年に築城工事が開始され、37万人の労力をかけ、ヨーロッパの建築技術を取り入れて1796年に完成した。華城は朝鮮戦争で一部が破損したが1975年から5年かけて復元された。現在は、世界遺産に登録されている。
水原市から一路、仁川空港へ向かい19時40分の関西空港行きで出発。
20時40分に関西空港到着。各自の家に帰宅した。         

 

全国労働者大会・前夜祭
東大門

 

美しい庭園

 

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