連帯ユニオン 近畿地方本部 関西地区生コン支部 近畿地区トラック支部 近畿セメント支部 労働相談-ホットライン
YouTube

関西地区生コン支部、検定意見の撤回を求め2時間の統一ストライキ

 
 「許せない」歴史の歪曲 
検定意見の撤回求め全国に広がる文科省への抗議の声

 現在、次々と有事法制が整備され、教育基本法も改悪。そして福田政権が改憲を掲げて戦争政策を押し進める中、連帯労組関西地区生コン支部は、5月15日の沖縄返還記念日に関西の各地で、歴史教科書に付けられた検定意見の撤回を求め2時間の統一ストライキを敢行した。



■ 「沖縄の怒り」が全国的な運動に発展

この教科書検定問題は、07年3月末、文部科学省が08年度から使用される高等学校歴史教科書の検定で、沖縄戦における集団自決の記述に「沖縄戦の実態について誤解するおそれのある表現」との検定意見を付け、日本軍の強制・誘導・関与等の表現を修正・削除。その理由として集団自決については日本軍の命令が確認できていないこと。とりわけ大阪地裁で争われている「大江・岩波沖縄戦裁判」の原告(元、座間味島戦隊長及び渡嘉敷島戦隊長の弟)が「集団自決に関し、隊長命令は出していない」と証言していることを根拠としたのが発端。

そのようなことから沖縄県では高校歴史教科書から集団自決に関する「日本軍の強制」の削除が歴史を歪曲するものだとして多くの市民や議員、行政関係者らが反対の声を上げ、07年末までに約60万筆もの検定意見の撤回を求める署名を集約。07年6月に開催された「沖縄戦の歴史歪曲を許さない!沖縄県民大会」には、検定意見の撤回を求め沖縄県民3千5百人が結集。そして、9月29日に行われた宜野湾市海浜公園での「教科書検定意見撤回を求める県民大会」では沖縄県民11万人が結集し、検定意見の撤回と記述の回復を強く訴えた。さらに沖縄県下の市町村議会県議会においても「検定意見撤回の意見書」が党派を超えてほぼ全会一致で採択されるなど検定意見の撤回を求める運動が島ぐるみの闘争へと発展。

沖縄県以外の全国各地でも、検定意見の撤回を求める集会等がいたる所で開催され、各地の地方議会においても「検定意見撤回の意見書」を採択。08年1月の時点で50の自治体にて意見書が採択されている。このように検定意見の撤回を求める運動は、沖縄だけでなく、今や全国的に広がる運動へと発展するにいたった。そして、大江・岩波沖縄戦訴訟では、裁判長が「集団自決に日本軍が関与したのは認められる」と指摘し、原告の訴えをことごとく棄却。これにより文科省が検定意見を肯定する根拠が裁判所の判決により失われることとなった。
>>大江・岩波沖縄戦裁判の概要



■ 署名5万筆集約が今後の達成目標

 このように検定意見の撤回を求める運動が高揚する中、関西地区生コン支部においても第1回中央委員会(07年11月29日)で、この検定意見問題をテーマに運動を展開することを決議。組織外の運動体とも連携して、検定意見の撤回に向けた統一戦線を構築していくことが確認された。以降、各ブロックでは学習会等が盛んに開催され、垣沼地本書記長が中心となって「検定意見の撤回を求める会・関西」を結成。各ブロックにおける啓蒙活動を推進し、各自治体の首長や教育委員会に対して検定意見についての意見表明を求める活動を展開。その結果、近畿圏内の全ての府県ならびに市町村の首長と、各自治体の教育委員会30ヶ所に請願活動を実施した。 また、3月初旬頃に、沖縄現地調査を開始。二波にわたり調査団を組織して沖縄戦の真相を調査。そして4月13日には「月桃の花シンポジウム」を開催して、沖縄戦の「集団自決」が日本軍による命令・強制・誘導により生じた歴史的事実を確認し文科省に対する検定意見の撤回を求める請願署名の実施が提起された。また、関西地区生コン支部として、5月15日の沖縄返還記念日に検定意見の撤回を求める一斉ストライキを実施するとの報告がなされた。
        


 





そして沖縄返還日当日は、関西の各地で統一行動を展開。大阪・兵庫・奈良・京都・和歌山の2府3県で、総勢4百名以上が参加する大統一行動を敢行。2時間のストライキの中で、各ブロックが各地域にて宣伝・アピール活動を展開し、市民に向けて大きく教科書検定意見の撤回を訴えた。



今後も関生支部として運動を継続。第3回中央委員会では検定意見の撤回を求める請願署名5万筆以上の集約を目指すことが確認されている。

播州但馬ブロックの取り組み >>リンク



大江・岩波沖縄戦裁判の概要

『沖縄ノート』(大江健三郎著)、『太平洋戦争』(家永三郎著)、『沖縄問題二十年』(中野好夫、新崎盛暉著)の内容が、当時、座間味島の守備隊指揮官と渡嘉敷島の指揮官が住民に集団自決を強制したと記述。元、指揮官らの名誉が傷つけられたとして、慰謝料や出版差し止めなどを求め、05年8月に起こした訴訟である。

08年3月28日、大阪地方裁判所は原告の請求を棄却。判決で裁判長は、座間味島における強制集団死(集団自決)について「体験者らの体験談等は、いずれも自身の実体験に基づく話として具体性、迫真性を有するものといえる」、「日本軍の兵士から米軍に捕まりそうになった場合には自決を促され、そのための手段として手榴弾を渡されたことを認めることができる」と述べ、自決用に手榴弾が渡されて使用されたと認定した。渡嘉敷島における集団自決についても「手榴弾を持った防衛隊員が西山陣地北方の盆地へ集合している住民のもとへ赴いた行動を赤松大尉が容認したとすれば赤松大尉が自決命令を発したことが一因ではないかと考えざるをえない」とした。
そして「集団自決が発生した場所すべてに日本軍が駐屯しており、日本軍が駐屯しなかった渡嘉敷村の前島では、集団自決は発生しなかった」とも明確に判示。さらに、2005年度までの教科書検定では「座間味島ならびに渡嘉敷島の集団自決については、日本軍の隊長が住民に対し自決命令を出したとするのが従来の通説であった」と指摘し家永・大江氏が自決命令の存在を真実と信じるだけの十分な理由があったと認めた。

このように検定意見の根拠が、司法判断によって否定されたのである。

連帯ユニオン議員ネット